人気ブログランキング |

藤田八束の日記

sakana114.exblog.jp

フジタ企画社長藤田八束が、出張先等で出会った素敵な景色やお宿を、趣味の写真満載でご紹介。HPはhttp://www.fujitakikaku.co.jp/

<   2012年 03月 ( 20 )   > この月の画像一覧

賢明な復興計画が必要です。・・・東北大震災、三陸、気仙沼、鉄道の復興

熊本、八代、そして人吉を通り真幸駅へ、素晴らしい遺産を残してくれた賢人たちに感謝し、それを守る地域の人の優しさに本当に感動しました。
d0181492_1271271.jpg
d0181492_1273365.jpg
d0181492_128356.jpg
d0181492_1282968.jpg

人の心、日本人の優しさに甘えるだけでなく、自分達には何ができるのかを考える機会になりました。自然も素晴らしい。

京都マラソンを見ていました。被災地からも沢山のランナーが参加して大会は進められていました。この大会を見ていて思いました。目標をしっかりと見定める。そして、それを完走する。この過程には、どのような苦難があるかもしれませんが、それを乗り越えるだけの準備はしてきた。苦難を乗り越えてゴールを目指す。沿道からは沢山の声援がかけられる。「気仙沼頑張れ!!」いつしか声援は三陸へと届けとばかりだったように私は聞こえました。目標を「復興、復活」として、どんな姿にする。こうした姿を目標にして、住民がみんなで、それを達成するために全力を尽くす。「自分たち自身の力で復活をする。」その懸命な姿を見て国民はおのずと、協力を、支援を惜しまないのではないでしょうか。被災地の企業の復活が少しではあるけれども聞くことが出来ようになりました。自力復興を懸命に目指す企業からの便りが聞けるようになりました。目標を明確にすることで全社員が達成するための、自分の存在を信じ、会社を信じ、成し遂げようとする懸命さに国民は声援を送ります。京都マラソンはそんな懸命な国民の姿を見ることが出来ました。
先日、熊本県人吉市にまいりました。熊本、八代、そして人吉へ、人吉から鹿児島へと向かいます。この鉄道は第二次世界大戦の前、戦災を逃れるために造られたとお聞きしました。鹿児島本線はおそらく攻撃の対象になる。そうすると物資が運べない、鹿児島本線を隠れて山の中に鉄道を敷いたと聞きました。当然、この路線は戦後はさびれた路線なのかもしれません。ところが、その路線が今は観光の路線となっています。錆びれた路線としないで、この遺産を大切にして村の観光にならないか、これも目標を明確にし、その姿を確認し、地域住民の懸命な努力、知恵の結集が実を付けたそんな例と思います。今、被災地は廃線を考えていますが、そうではなく、なくなりかけている本物の大切な遺産と気づくか、復興に必要でないと思うかは住民の英知なのかも知れません。鉄道を作り上げるには大変な犠牲も有ったと聞いています。この地、三陸が長い歴史の上にあるとしたら、簡単な廃線は間違っているかもしれません。住民が大切に利用する鉄道があり、綺麗な街並みが出来たら、これこそは復興だと思います。私たちは阪神淡路大震災の時に感じたのは鉄道のありがたさでした。
鉄道があって復興が出来ました。そして、今、その電車の中でどのような毎日が起こっているかは「素敵な阪急電車・・・・・」でお話しました。バスで当面は対応しても、目標は鉄道だと思います。三陸と鉄道は魅力の一つでした。もっと、この機会に良く考え、復興のシンボルとしてはと私は考えます。私が復興庁の長官なら、三陸、鉄道、花の沿線、花の町づくりを目標に水産を中心にして、酪農、農業の地域づくりを復興計画を描きます。復興計画を住民が賛成してくれればそれを目標と定め、前に進みます。
復興の予算は限られています。目標のはっきりとして計画書がなければいつまでたっても復興はおろか、復旧もどうなるのかは心配です。ゴールはいつまでたっても見えないし、たどり着かないと思います。京都マラソンにはゴールがありました。ランナーは達成するまで歯を食いしばり、そして沿道の声援を受けて、ゴールへ倒れこみました、小野寺さんは自力で達成していました。そのユニホームには「気仙沼」と力強く書かれていました。

熊本から、人吉を通り鹿児島へ、肥薩線のご紹介は次にします。沢山の情報をお伝えします。
by fujitakikaku | 2012-03-25 12:14 | 気仙沼の復興を願って① | Trackback | Comments(0)
震災から1年、復興の道筋を考える・・・東日本大震災、気仙沼復興、気仙沼の水産業復興(4/4)

復興実現に向って・・・被災地気仙沼の復興を願って④

17年前、阪神淡路大震災を乗り越えた神戸のこの姿を見ていただきたいのです。それが気仙沼の方にも最も元気になれる光景だと思います。これが現実の姿です。
d0181492_1015167.jpg
d0181492_10152992.jpg

神戸港の片隅にはこうして当時の歴史を一部に残していますが、決して誰もが何時でも目に付くところには残していません。それは悲しい出来事が多かったことから、忘れたい人がたくさんいるという現実からです。慰霊塔は必要ないと私は思います。そのためにお墓があります。それはあまりにも悲惨だったからでもあります。被災者の本当の気持ちはそうだと思います。

人、人材の重要性
今、小学校に通っている子供たちだって10年もたてば立派な若者に育ちます。
子供は本当に宝物です。計り知れない未知の可能性を秘めています。
鹿児島、知覧町に行きますと、第二次世界戦争の終戦真近にしての特攻隊の悲しい話が歴史の事実として知ることができます。書き残した資料、手紙等から若者たちの知識の素晴らしさ、教養の豊かさがうかがえます。ご両親がいかに子供の教育に熱心であったかがうかがえます。どんな苦難の時でも子供の教育だけは忘れなかった当時のお母さん、お父さんたちの精神が今日の日本の繁栄につながっていることを知ることができます。
家のために、家族のために進学をやめて、そして仕事に就く・・・・こんな映像が流れるたびに思います。今、教育を受けないことが将来生活にどんなにか影響するのかということです。であれば、この地を離れても親の責任として子供が大切なら学校教育を受けさせるべきです。今の日本でこのことができないほど日本は貧乏ではありません。教育の機会を逃してはいけません。これは私からの忠告です。テレビで流れる映像はとても嫌です。「なにをしている、頑張れ!!」親に向かって叫びたいくらいです。義援金、復興資金はまずはここに使わなければなりません。
「自分のために働くのだ。」・・・それならいいでしょう。「お金がないから」は絶対に理由になりません。教育は今でないと受けることができないのです。
明治維新で流れを変えた若者たちの力、そして、そうするために懸命に勉強をし、見聞を広げています。すべての礎は「教育を受けた」という歴史が物語っている事実です。
今日の日本の繁栄の礎を築いたのもこの時代の若者たちの見聞・行動力だと私は思っています。
大震災は、災害はこれからも起きるものと考えます。そして、それも想定外と考えておきます。「起きたらどのようする」のではなく、「そうなった時にどうするのか」を考えておくべきと私は考えています。
日本には組織的に行動するという力に欠けているといいます。個々は優秀なのに・・。このことは多くの国の人が言います。
若い世代に積極的に任せていく。このことはこれからの日本の復活、未来を拓く鍵になっていきます。この震災の復興こそがこの国の仕組みを変え、若者が勉強し、世界に通ずる人材の育成にも大きく貢献することを私は期待しています。本当に頑張ってほしい、明治維新の若者たちに負けるな。力を発揮できるチャンスは今だと思って行動して欲しいのです。
私は今、震災から1年を迎えて、遅々として進まない気仙沼の復興に心配をするだけです。私には何ができるのでしょうか。
d0181492_1016623.jpg
d0181492_10162582.jpg
d0181492_10163979.jpg

こうして悲しみを乗り越えて、皆様のご支援をいただいて神戸の街は復興しました。更に、素敵な、お洒落な神戸へと発展していきます。是非、いらっしてほしいのです。


by fujitakikaku | 2012-03-19 23:23 | 気仙沼の復興を願って① | Trackback | Comments(0)
震災から1年、復興の道筋を考える・・・東日本大震災、気仙沼復興、気仙沼の水産業復興(3/4)
d0181492_1057543.jpg
d0181492_1058927.jpg
d0181492_10583457.jpg

伊達正宗所縁のこの御堂、瑞巌寺は歌でも有名ですが、建物の素晴らしさには驚愕でございます。この木、ヒバの木ではないのでしょうか。松島も被災しましたが、今はどうなっているのでしょうか。美しい島は盆栽の展示場のようです。すばらしい遺産を私たちはどんなことがあっても守らないといけません。瑞巌寺の姿は感動的でございます。

復興実現に向って・・・被災地気仙沼の復興を願って③

水産の町、気仙沼の強さには理由があります。
・漁場が近い
・魚介類を取り扱う人材に恵まれている
・販売ルートがしっかりとしている
等が繁栄の礎となっていると思います。
・それを支える重要な環境としての施設、設備が充実している。
・長年の努力により、気仙沼のブランドを形成している。
例えば気仙沼がどこにあるか知らなくても、気仙沼という名称を知らない人はいない。学校教育の中で気仙沼が紹介されている。
・かつお、ふかひれと言えば気仙沼です。
しかし、世の中は常に変化を遂げています。世界中から季節の食べ物が瞬時に消費者に届く時代になっているという現実を認めた上で、どう私たちは変わっていかなければならないかをよく考え見ることから始まります。
科学が進むと、例えば南氷洋へ魚を捕りに行って、鹿児島の市場に常時水揚げして、鮮度保持は何の問題もない、コストも問題ない。このように保管・流通管理する技術はすでに完成しています。・・ということは日本の近海で取れた魚は大消費地の東京で水揚げされても何の問題もない時代がすでに来ているということです。でもできないことがあります。
効果的な加工と流通のサイクルです。
・大きく言えば漁獲できたものをすべて買い取る力
・鮮魚で販売する力と余ったものは加工に回せる加工技術
・水揚げされる半分以上の膨大な量の残滓処理、又、残滓としない技術と処理施設
・鮮度管理と加工技術、それを支える設備と更なる技術のサポート
しかし、こうした技術も真剣に討議し、今の技術を結集すれば資金力があればさほど難しい問題ではないと考えています。宇宙に向って探索船を打ち上げても、目的の調査を行って指定箇所に帰ってくるだけの技術が現存するということです。カーナビは膨大な車に居場所と目的地を教え、その道中の状況をも、リアルタイムに教えてくれます。凄まじい限りの高度な技術だと思います。
大切なのは知識、正確な情報、卓越した行動力・・・それは個人でできるはずがありません。人材の確保です。
人材は今日、明日には育ちません。これまでにどのような人材を輩出してきたか調べてみることです。この優秀な人材がこれからの町づくり、復興には絶対に必要です。町づくりにとっては非常に重要になります。
d0181492_1059295.jpg
d0181492_10592838.jpg
d0181492_10594494.jpg
d0181492_110171.jpg
d0181492_1101367.jpg
d0181492_1102720.jpg

私たちは賢人たちにいただいた宝を、素晴らしい遺産を後世に継承さないといけません。私たちも遺産となるものを造り、残さなければなりません。何を残せるでしょうか。そのヒントがここにあるように思います。
・・・(次に続きます。・・・・)
by fujitakikaku | 2012-03-19 23:23 | 気仙沼の復興を願って① | Trackback | Comments(0)
震災から1年、復興の道筋を考える・・・東日本大震災、気仙沼復興、気仙沼の水産業復興(2/4)
d0181492_10391082.jpg

d0181492_10415725.jpg

ここはあまりにも有名な岩手県遠野市にある旅館です。ここに泊まると座敷童子に会えるかもしれない。会えたらそれは素晴らしい人生を送れるという神話があるところです。多くの著名になった人がここにきて人生の幸運に恵まれたという故郷です。
東北にはこんなお話が随所にあります。この旅館、焼失してしまいましたが、その後「座敷童子」はどうなったのでしょうか。三陸の被災地をさまよっているのかもしれません。被災者なのかもしれませんよ。救ってあげないといけません。それが子供たち全部なのかもしれません。

復興実現に向って・・・被災地気仙沼の復興を願って②

今一度気仙沼に何故沢山の魚が水揚げされるのか・・・・このことについて考えてみます。
気仙沼の近海で沢山漁獲されるからではないことを知っておくべきです。
気仙沼の繁栄はここに重要な鍵があると思うからです。そして、復興計画の立て方において非常に重要と考えるからです。今更、エコタウン、震災に強い街づくりではないでしょう。今回のような強い地震、津波を完璧に防御するにはどのくらいのお金が必要か。そのくらいの計算は出ているでしょう。その金額考えたことありますか。これを国に出せと言っても国民は絶対に認めません。そんな余裕はこの国にはありません。そのお金が借金として残るだけで、税収として回収するには不可能だからです。そんなことしていたらこの国に震災大国はもろとも崩壊です。今回よりも強い津波が来ないと誰が言えますか。・・・であれば防災対策の方法はただ一つ、安全に逃げるルート、避難場所を作るだけです。災害は被災は津波だけではありません。それを考えると被災した時の避難場所、避難ルートの確立が最も有効で可能性のある方法です。
高台移転もいいでしょう。でも誰が今後の安全性を保証し、かつ膨大なお金を出すのでしょうか。被災した人、自らが自己責任でやるのならいいのですが、これを行政ですると問題は残ります。次に被災した時に又保障問題が絶対に出てきます。被災したもの自らの責任で、自らの復興をする。それを行政はサポートする。この形が良いと私は思います。自己責任はとても大切なことです。私たちは17年前の阪神淡路大震災からの復興はそうしました。復興は自己責任で実行すべきです。

d0181492_10401467.jpg
d0181492_10402694.jpg

部屋は二つ、沢山の子供の遊具が飾ってありました。
私は被災地の子供の中に座敷童子がいるような気がします。いや、子供全員が座敷童子なのかもしれません。子供は国の宝です。大切にしなければならないと思います。

・・・(次に続きます。・・・・)
by fujitakikaku | 2012-03-19 23:22 | 気仙沼の復興を願って① | Trackback | Comments(0)
震災から1年、復興の道筋を考える・・・東日本大震災、気仙沼復興、気仙沼の水産業復興(1/4)
d0181492_10263461.jpg
d0181492_10265484.jpg

東北の力強さを感じるものがあります。それはヒバの木です。この木とても大好きです。その力強さを感じたのは青森県にある、秘湯酸ケ湯温泉です。酸性の強いお湯は普通の建材では持ちこたえないでしょう。100年を超えるこの建物は私は世界遺産とも思っています。ヒバの木の堅牢さはまさに東北の人に大きな力をくれる象徴だと思います。ヒバの香りはその癒しの最高の香りを放ちます。この木材の強さを復興の象徴の一つとしてもいいと思いますが、いかがでしょうか。じっと山々から復興の様子を見ていると思います。この木の存在は東北にしかありません。私は「神木」と思っています。

復興実現に向って・・・被災地気仙沼の復興を願って①

復興する条件はその地域によって違うことを明確に示し、地域住民が知っていることです。東日本を復興する計画を一元的に考えてはいつまでも復興を遂げることは無理です。100年以上かければそのうちに何とかなるかもしれませんが、早い時期での復興は、それは無理と思います。地域としての復興の可能性を明確にできないのであれば、新しい道を別で考えて実行する方が確実と言えます。歴史に見ても、駄目だと思った賢者たちは他の地に移り、見事に国造り、町造りをしているではないですか。歴史がそれを証明しています。日本全体を見ますと誘致して欲しい自治体は沢山あります。商売を考えると流通は待ってはくれません。時間の浪費はそれ自身が復興を妨げる大きな要因になります。気仙沼の復興はただ一つ、漁業、水産業の復興にかかっています。それも加工業です。水産加工があって、鮮魚、クラスターの復興だと思います。
復興の遅れの大きな原因には資金の使い方があります。勿論、復興計画が将来の目標を明確にした上で、確固たる復興工程表が確立していることです。
気仙沼を離れて、九州でとっくの昔に復興を遂げている会社があります。行政は地域のために何をすべきかを今一度よく考え、国政で動くのではなく、地域行政を復興するために英知を結集し、身体を張って国に働きかけることです。働きかけるときに本当に気仙沼を知っている、知り尽くしている有識者にその英知、知恵を借りることだと思います。誰が復興の指導者になるのか、それはとても重要なことです。商店街が一時的に復興しても気仙沼の復興はありません。より過疎化した福祉の町が残ることになると思います。「ふかひれの町」と言っていても、もはや業態を変えることはそんなに大変なことではありません。なぜなら、「ふかひれ」が何故、気仙沼がブランド化できたかを調べてみると分かります。
全ての技術がもはやどこで出来てもできることに心配な問題点があります。
その気になってグローバルに誰かが資本力をもってすれば、その基地は他に動いても全く問題がないかもしれません。だから復興を急ぐのです。弱者中心のことを考えていたのでは弱者までもが生活できなくなります。日本の扶養家族をどんどん増やす気仙沼であってはいけないということです。優秀な人材はそんな街には決して残らないし、そんな街にも帰ってきません。世界中には優秀な人材を必要としている快適な街が、国が沢山あります。この気仙沼にはこれまでに沢山の優秀な人材がこの町を離れ、そして他の地で活躍していると思います。また、この地、気仙沼にもいるではないです。その力をどうして活用しないのでしょうか。構造、システム、仕組みの改革は急務です。そのチャンスでもあると思います。
d0181492_10273685.jpg
d0181492_1027547.jpg
d0181492_10281114.jpg

豪雪に堪え、支えるこの力はどこにあるのでしょうか。訪れるたびに「神木」に手を合わせ、有難うございます。・・・と心よりのお礼を申し上げます。

気仙沼を考えてみます。・・・(次に続きます。・・・・)
by fujitakikaku | 2012-03-19 23:22 | 気仙沼の復興を願って① | Trackback | Comments(0)
青森、青森駅桟橋に行きました。・・・青森ねぶた、桟橋、八甲田丸
d0181492_22114623.jpg
d0181492_22122147.jpg
d0181492_22125636.jpg
d0181492_22135994.jpg
d0181492_22142765.jpg
d0181492_22144465.jpg
d0181492_221511100.jpg
d0181492_22153391.jpg

青森駅に行ってみました。素晴らしい光景に会いました。連絡船八甲田丸の雄姿に会いました。
実に懐かしい、感慨深いものでした。この連絡船で津軽海峡を渡り、北海道へいったあの時を思い出していました。40年も前のことです。北海道大学へ受験に参りましたが、九州から夜行列車に乗って大阪へ、そして、更に夜行列車で青森へ向かいました。その時の列車がブルートレーン「日本海」でした。
この電車が本日をもってなくなりました。大変な鉄道ファンが青森駅に集まり、その最後の雄姿を見届けたそうです。私は仕事の都合で残念にも見ることはできませんでしたが、青森でそのことを知りました。そして、その前に廃船となつた青函連絡船「八甲田丸」の雄姿でした。あのころを思い出しながら、懐かしくシャッターを押していました。素晴らしいタイミングで青森にいることに何か不思議な気持ちになっていました。
今、ここに、私の前に、青函連絡船「八甲田丸」とブルートレーイン「日本海」を、私の前に用意していただきました。非常に嬉しく、懐かしく、非常にありがたいと思っていました。
d0181492_22214322.jpg
d0181492_22221849.jpg
d0181492_22231419.jpg
d0181492_22244094.jpg
d0181492_2225877.jpg

桟橋が残っていました。ここから船に乗り継ぎました。確かにここからでした。高い志を持って北海道へと向かいました。今日あることの感謝でいっぱいでした。学生時代は下宿のお母さん、先輩、友達にも恵まれ、恩人の指導者先生に恵まれたことが私の今日の財産でございましたす。本当に感謝しています。あの時を思い出して、じっと連絡船を見つめていました。
by fujitakikaku | 2012-03-17 21:33 | JALの旅、空からの写真 | Trackback | Comments(0)
伊丹、東京そして青森へ・・・・冠雪の富士山、素敵なJAL
d0181492_2044668.jpg

搭乗前から富士山が綺麗に見えました。それだけに私の席のことが気になっていました。良い席でありますように。
d0181492_2044283.jpg
d0181492_20445622.jpg
d0181492_20452190.jpg

遥か彼方に見える冠雪した富士山に見とれていました。素晴らしい。ただ一言です。この席は最高の席でございました。ありがとうございました。
d0181492_20454756.jpg
d0181492_20461433.jpg
d0181492_2046336.jpg
d0181492_2047022.jpg
d0181492_20471653.jpg
d0181492_20473995.jpg
d0181492_20475887.jpg
d0181492_20482321.jpg
d0181492_20484159.jpg

冠雪した富士山と月の影、こんな素晴らしい光景は初めてでございます。とても綺麗で感動的でございました。飛行機は実に素晴らしい、飛行機だから味わえる素晴らしい感動のシーンです。
d0181492_2049991.jpg


JALで伊丹、東京、そして東京から青森へ

今日の天気は最高です。羽田空港から向うこの日は見事に晴れ渡った好天日です。飛行機の窓から富士山の冠雪した素晴らしい光景に会うことができました。
羽田からのこの便、あまり乗ったことがなく、好天日の今日は是非富士山を見たいと切望しておりました。飛行機はどのようなポジションをとるのか心配でした。その理由は、富士山が見えるかどうかは私にとってはとても重要なことでした。でもその心配はなく、係の方からとても親切にしていただき、最高の席でした。案の定、飛び立った飛行機の窓からは、それは、それは美しい冠雪した富士山を拝顔することができました。青森での日々がとても楽しみです。きっといいことが沢山あるように思います。この日は、新幹線で青森へ向うか、飛行機にするか大変迷いましたが、この富士山に逢いたくて飛行機にかけました。天気予報は最悪の状況を知らせていましたが、青森の菅野君(私の可愛い後輩です。)に電話で確認しましたところ、「何とか大丈夫と思います。」という返事、これで決定、私の頭の中には富士山の美しい姿がすでに浮かんで来ました。その素敵な富士山は今、私の目の前にあります。この席をアテンドしていただいたJALのスタッフの方、最後まで座席の位置をご配慮いただきましたスチュワーデスの方に感謝いたします。飛行機が大好きなのは、この空から見る景色の素晴らしさてございます。この感動は新幹線に絶対にない素晴らしいものでございます。私は飛行機が大好きです。景色を見ていると地球の素晴らしさ、日本の美しさ、素晴らしい自然が私たちを優しく包み込んでいてくれているというそんな素晴らしい気持ちにさせてくれます。そして、生きていることがこんなにも素晴らしいのだ、ということを心から感じさせてくれます。更に、身体の心から元気が湧いてまいります。
青森に入りますと、素晴らしい銀世界でした。きらきらと輝く、白一色のみごとの世界が広がっていました。
仕事をする時にも絶対に必要なことはその先に、素晴らしい人たちにお会いできるという楽しみ、そして絶対に楽しいことがある。最も大切なようでなかなかその様にはいかないものです。でも、私はうまくいくような気がしてなりません。それは、私には素晴らしい人たちが必ず待っていてくれるからです。
d0181492_20493487.jpg
d0181492_20495113.jpg

青森の岩木山は残念ながら雲の中でした。でもこの素晴らしい銀世界はそれにも勝る素晴らしい光景でございました。
by fujitakikaku | 2012-03-17 20:49 | JALの旅、空からの写真 | Trackback | Comments(0)
十和田観光鉄道廃線に思うこと・・・・十和田電車、廃線、十和田、三沢(追加)

今、私、青森にいてテレビを見ています。なんと昨日まで書いていた十和田観光電鉄の廃線の特集を報道中でした。じっと見ていましたが少し寂しく、そして悲しくなりました。その内容は廃線になることを知って、「カメラで記念写真を撮りに来ました。」「この地にこんな電車が走っているということを知らなかった」といっていました。それはないでしょう。廃線だから話題になって盛り上がっているとしたらこれは寂しいことです。そばにいて乗ったことすらもなかったということでした。廃線でなかったらいまだに知らないままだったということです。そんなに愛されない電車なら廃線になった方がいいと思います。でも、きっとこの電車はまた別の生きていく道を咲かすと思います。ある面からはとてもいい特集番組を見せていただきました。ありがとうございました。
若者たちは教育とはなんなのかもっと考えてほしいと思います。就職率が悪いというなら世の中の不景気の勢ではないのではないかと思います。とにかく勉強をしょうよ。学生の本分は勉強することではないかなあ。
d0181492_23594014.jpg

d0181492_012149.jpg
d0181492_021962.jpg
d0181492_033938.jpg

d0181492_081487.jpg
d0181492_083738.jpg
d0181492_092132.jpg
d0181492_0101118.jpg
d0181492_0105352.jpg
d0181492_0115864.jpg
d0181492_0123232.jpg

d0181492_0131448.jpg
d0181492_0135730.jpg
d0181492_0143123.jpg
d0181492_0145320.jpg
d0181492_0151323.jpg
d0181492_0154636.jpg
d0181492_0161759.jpg

ここで紹介されていた電車、東急から引き受けた電車だそうです。よく確認すると車内の一つ一つの部品がそのまま使わられていました。電車自身が歴史を物語っていました。
この番組に会えたことに感謝します。実に懐かしく感慨深いものでした。
by fujitakikaku | 2012-03-14 00:27 | 電鉄、鉄道、廃線、頑張れ鉄道 | Trackback | Comments(0)
十和田観光電鉄線廃線に思うこと・・・廃線、十和田観光電鉄、市電、鉄道、熊本、鹿児島(5/5)
d0181492_1242653.jpg
d0181492_1245531.jpg

今あるものを良く見つめなおすことがとても大切です。私たちはこの地球の長い歴史の中のほんのわずかの時間を知っているにすぎないのですから。よく歴史を勉強することがとても重要です。

絶対にしてはいけないこと。それは、古いからと言って処分しないこと。なぜ、ここにあるのか、その経緯は・・・・よく歴史を勉強することです。当時の創業者、関係者、地域の人達の当時の喜びがそこにはあったと思います。特に東北の鉄道には厳しい歴史がたくさんあることを見て、聞いています。すばらしい歴史ではないでしょうか。私はこうした東北にある、沢山の歴史を地元の方にお伺いすることをとても楽しみにしています。これまでにたくさんのお話をお伺いいたしました。中でも義経伝説、奥の細道の話はとても興味深く、しかも聞く場所で違った歴史があり、それは楽しいものでした。また、近いうちにそんなお話を聞きたいと思います。
実はこんな話があります。昨年の秋です。青森県大畑市、仕事で訪問して帰りのバスの中でのお話です。大畑駅からバスに乗って野辺地へと向かいました。バスの中には私と運転手さんの二人だけでした。バスの中からは陸奥湾がとても綺麗でした。その時大きな夕日が山の彼方に沈みかけていました。それはそれはとても見事な綺麗な夕焼けでした。
その時運転者さんから、「お客様はどこから来られたのですか。」・・・・・話が始まり、・・・・
実は十和田市と三沢間に走っている電車の話を私から運転手さんにお話をしました。「十和田電鉄のあの電車は素敵で私は必ず古牧温泉西館の507号室に泊めてもらうのです。それは電車に会えるからです。とてもレトロな、可愛い電車で、大好きです。」そんな話をしました。
「旦那さん、それは残念です。その電車、実は来年3月には廃線になることが決まったのです。議決されました。」「えっ!!」びっくりです。「なぜ、・・」「・これ青森の宝物ですよ。この電車の沿道に花をいっぱい咲かせ、その中を走らせたらもう最高ですよ。コスモスが良いでしょう。素敵な電車にはたくさんの素敵な人たちが集まります。学生たちには忘れられない思い出がたくさんできます。」
「優秀な子供たちが育つこと間違いなしです。歴史のある十和田市と三沢市を結ぶこの電車こそは宝物ですよ。電車も綺麗にペンキを塗って、駅を綺麗にして個性ある駅を子供たちに絵を描かせていけばこんな素晴らしい鉄道はないのに。みなさん本当にそれでいいんですか。」私は悲しくなってきました。
「旦那さんにもっと早くに会えていたらよかった・・・・。」運転手さんはそういわれました。そして、「実は私昨年までその電車の運転手だったのです。としも寂しいです。・・・・」「でもこうしてあの電車のことを大好きだったといってくれる人に逢えて、しかも遠方の方から、ありがとうございます。」
でも、私こそ二人だけのこのバスでいいお話ができましたことに、心より感謝申し上げます。運転者さんありかとうございました。
下北半島の陸奥湾を通ってバスは野辺地へ向かいました。
陸奥湾に沈む夕日がとても美しく印象的でした。
d0181492_14551057.jpg
d0181492_14552867.jpg
d0181492_14555137.jpg
d0181492_1456631.jpg
d0181492_1456352.jpg
d0181492_14565083.jpg
d0181492_14571347.jpg

鉄道を大切にするそのもっともいい例が九州、熊本、鹿児島にあります。
沢山の資料が今はあります。大いに勉強して、遺産を大切にしましょう。日本という国は本当に素晴らしいと思います。それは素晴らしい賢者たちがいてくれたからだと思います。この賢者たちも素晴らしい日本というこの地があって生まれ、そして育ったのだと思います。すばらしい人材は歴史の中で作られていくと思います。
d0181492_1214511.jpg
d0181492_12142370.jpg

d0181492_12112363.jpg
d0181492_1211448.jpg
d0181492_1212462.jpg
d0181492_12121721.jpg

子供たちの心の中に電車で通ったあの日の思い出が刻銘に刻まれていくと思います。
by fujitakikaku | 2012-03-12 22:42 | 電鉄、鉄道、廃線、頑張れ鉄道 | Trackback | Comments(0)
十和田観光電鉄線廃線に思うこと・・・廃線、十和田観光電鉄、市電、鉄道、熊本、水前寺公園(4/5)
廃線にしない方法
d0181492_2318442.jpg
d0181492_23182457.jpg
d0181492_23183541.jpg
d0181492_23184714.jpg
d0181492_23190100.jpg
d0181492_23191461.jpg
d0181492_23193519.jpg

廃線にする。なぜ、採算に合わないから、赤字では経営が成り立たないから。・・・・
一方、継続を願う人は公共性をいう。今の日本ではどう考えても効率的なバスに変わります。つまり、廃線です。
では廃線にしない方法があります。学校教育の重要性です。
この地に生まれ、この地に育ち、豊かな生活を求めて・幸福を求めてこの地を離れる人、この地で生活を続ける人。それぞれがじんせいのせんたくをして進んでいきます。かっての東北はこの地を離れる人が生活の場を作るのに困難な時代でした。でも、今日はどうでしょうか。それは生活の様式が変わっただけでなく。努力の差が歴然とします。豊かになるための教育の場、切磋琢磨する環境、探究心、努力、寝る暇もいたわしく思う賢明な努力。市電、私鉄の経営状態もその例です。乗り物は、その乗り物だけでは乗り越えられないものがあります。
函館の街を例に挙げます。あの町に電車が無今なかったら観光としての価値は半分以下でしょう。いや、私は危ないくらいと思います。
生活環境の中に電車はあるとないとでは大変な差があります。その地に過去の遺産があればあるほどその価値は変わってきます。
この町に電車があったらどんなにか観光としても価値が高まるのにと思う町はたくさんあります。倉敷はそんな街の一つです。鉄道を作るということがどんなに大変なことなのか、よく分かります。長い歴史の中で気づきあげられてきたこの道は消えていくときはこんなにも簡単に素早く消えていくものなのでしょうか。
今、生きている人、生活をしている人、特に若者に必要なものを大切にすることです。そして、それは子供たちの時代へと受け継がれると思います。
私の故郷は熊本ですが、熊本城を訪れるたびに思います。加藤清正はよくぞこのお城を作ってくれたものだ、残してくれたものだと思います。今でこそ、日本三大名城一つとされていますが、我が命を守るために英知を絞り、このお城ができたと思います。その英知が別の意味で現代の、今生きている人たちの心を引き立てるものがあると思います。その雄姿、素晴らしい姿に感動し、大いなる元気をいただく、私にとってはパワースポットであります。水前寺公園も同じです。実に感動的素晴らしさで。懸命に生活をするそこにあるものが後世での遺産となるのではないかと思います。その遺産は故郷を根底から支えるものになっていくようです。
d0181492_2331279.jpg
d0181492_23315293.jpg

d0181492_23453100.jpg

d0181492_2347189.jpg

d0181492_2332871.jpg
d0181492_23322424.jpg
d0181492_23323999.jpg

水前寺公園も素晴らしい遺産です。この公園の水は阿蘇からの伏流水です。
d0181492_2335752.jpg
d0181492_23352230.jpg
d0181492_23353965.jpg

街の素晴らしさを案内してくれるのは市電です。もちろん、電車の中は熊本弁、鹿児島弁が飛び交っていました。
by fujitakikaku | 2012-03-10 23:50 | 電鉄、鉄道、廃線、頑張れ鉄道 | Trackback | Comments(0)

フジタ企画社長藤田八束が、出張先等で出会った素敵な景色やお宿を、趣味の写真満載でご紹介。HPはhttp://www.fujitakikaku.co.jp/


by fujitakikaku