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藤田八束の日記

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フジタ企画社長藤田八束が、出張先等で出会った素敵な景色やお宿を、趣味の写真満載でご紹介。HPはhttp://www.fujitakikaku.co.jp/

<   2011年 03月 ( 41 )   > この月の画像一覧

宿泊地、ホテル観洋は皆さん避難されていて、誰もいらっしゃいませんでした。避難場所である気仙沼小学校へ向かいました。山の上にある小学校からは気仙沼の荒廃した様子が一面に広がっていました。まだ、あっちこっちから煙が上がり、火が完全に消えていませんでした。対岸の山には飛び火したのか山火事が発生し、白い煙が山を覆っていました。小学校に着きましたが多くの人で学校は大変でした。ここで宿泊しようと思い手続きをしましたが、通された部屋は理科室でした。幾人かの人がいましたが、毛布一枚でした。何かないと過ごせないと思いボランティアの方にお願いしましたが毛布などないということでした。板の上で寝ることになります。夜は冷え込みます、このままだと夜を過ごせない。どうしたらいいものかここでは過ごせない。ふと見るとパトカーが一台ありました。宮城県警とあったのでひょっとして仙台まで乗せてもらえないかと思いましたら、気仙沼の警察の車でした。助けてもらえるものなら何でも・・・次に仙台ナンバーのトラックが「仙台へ帰りますか」尋ねましたが、当然断られました。途方にくれていました。どうしたらいいだろう。歩けるところまで歩こうかと思いました。そのとき一台の乗用車が私の前に止まりました。降りられる人の中にホテル観洋の女将さんがいらっしゃいました。確かに女将さんだ、「女将さん!!」「先生!!無事多だったんですね。よかった!!」「お客様もこちらにいらっしゃいますから」といっていただき、市民センターの方へ参りました。沢山の人が避難していましたが、寝るだけのスペースは確保されましたし、食べ物にやっとありつけました。命拾いを致しました。女将さん本当にありがとうございました。おにぎりがこんなに美味しいとは・・・。ここで一晩過ごしましたが、幸運なことに家のある人は帰ってもいいという連絡があり、私達はホテル観洋に帰ることにしました。ホテルは案の定無傷でした。床の大理石は全くヒビも入っていない状態でしたし、シャンデリアも綺麗そのものでした。このホテルがいかに頑丈に出来ているのかがわかりました。ここで帰る機会を待つことにさせて頂きました。市役所に行けば一番情報が入るということなので市役所にいってみました。
ホテルを出て、湾岸を歩くとそこには悲惨な情景が広がりました。涙が止めどもなく流れ、神様は本当にどこにいってしまったのだろうか。怒りと悲しみが込み上げてきました。
そのとき一台の自衛隊の車がさしかかりました。「すいません、神戸から来ているのですが、被災しました。市役所まで乗せていっていただけませんか。」「それは大変なめにお会いされました。乗ってください。市役所へ参りますから。」実に心よく笑顔で引き受けていただき乗せて行っていただきました。やっぱりそうだ、自衛隊の方は神戸の時もそうでした。小さいことから大きなことまでいつも私達のそばで支援していただけるのだとここでも確信しました。道中、阪神淡路大震災の時にいち早く来ていただいて、お風呂を用意していただいたこと、トイレを作っていただいたことをお話しました。是非お風呂を早く用意して欲しいお願いしました。そうできるように頑張ってみますといっていましたが、その後どうなったでしょうか。皆さんの切なる声が必要と思います。気仙沼の人たちがもしお風呂に早く入りたいと思うなら自衛隊の方へ皆でお願いしてください。すぐに用意できると思います。水はローリーで運びます。室根山だって自衛隊の人に取ったらすぐ近くですから。燃料は自衛隊ですからあります。ご心配なく。皆さんのそうして欲しいという声が絶対に必要です。子供達でまとまり、家(うち)には赤ちゃんがいます。お母さんがいます。お年寄りがいます。だからお風呂を用意して欲しいのです。そうお願いしてください。きっと実現できます。頑張って声を大きくしてお願いしてみてください。
お風呂については女性の方が特に大変だと思います。北海道で鮭のシーズンになるとサケバイといって多くの若者が全国からアルバイトに来ます。この時町は大歓迎をしますが、そのときのお風呂がいいものです。
部屋をビニールシートで囲みます。床もビニールシートをしきます。ちょっとすべるのでご注意、そこの中央に魚の輸送に使う、鮮度保持用のスカイタンクを入れるだけ入れます。外でお湯を沸かし、入れていきます。これで大変な盛り上がりようです。私も皆さんと幾度となくご一緒しましたが楽しいものです。女性の方は心配かもしれませんが、みんなで守ってあげれればいいと思います。鮮度保持タンクはすぐに調達できると思います。これは壊れにくいのでいくつも残っていると思います。

市役所は電話も通じず沢山の人でごった返していました。神戸の時は公衆電話が通じましたが、気仙沼は全部ダウンで外との交信は出来ないままでした。私もこれで4日目家族との連絡が取れていません。さぞかし、心配しているだろうと思うと涙が込み上げてきました。何とか連絡の使用はないのか・・・。でもそのすべはありませんでした。

そして、翌日七十七銀行の方が仙台に帰るという情報を得ました。ひょっとして電話が仙台からなら通じるかもしれない。そう思い「もし電話できましたら、伝えていただけないでしょうか。」ということで短い文章で無事であることを伝えていただけるようにお願いしまた。「分かりました連絡きっとしますから」一日も早く無事であることを伝えなければと一心でしたが、本当にご親切に言っていただけましたこの言葉忘れることが出来ないものになりました。(七十七銀行の荒様、入江様のご親切さに感謝申し上げます。)
次の、そして次の日でした阿部長商店大船渡食品の斉藤様がauからかかるかもしれない。今日かかったところがあったからということで我が家へかけていただきました。幾度となくしてもらいました。そのときでした「出られましよ、」「お母さん生きているよ」私の第一声でした。七十七銀行の荒様から電話を頂いていて、安心していたといってくれました。荒様へは本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。家内も「無事で、元気でいらっしゃいました」と聞いたときは本当に嬉しかったといってくれました。荒様、入江様に対し感謝の気持ちで一杯です。
斉藤様にも貴重なお電話を心おきなく使っていただきました。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。こうしていろんな人に支えていただきました。生還できたのも皆様のおかげと感謝申し上げます。ありがとうございました。
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by fujitakikaku | 2011-03-24 14:41 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
次の日、このままだと食べ物もないし、ということになりました。今日は絶対に食糧が届きます。そのように連絡がありました。ということですが、それもこれだけの大きな被災です。周ってくるめどがありません。被災者の健康状態も有ります。救助が来てもこれだけの人数(約150人)を救援するのは無理です。元気ある人だけでもここを出ましょうということになりました。食糧が少なくても人数が少なければそのほうがいいし、救助の時間も節約できるということでここを出ることにしました。でも、一歩外に出ましたらそれは酷いものでした。泥水の中をジャブジャブと、冷たいし、凍えそうでした。でもみんな一生懸命に歩きました。途中で避難した人の救助をしている救援のヘリコプターに逢いました。やっと来てくれたんだ。「頼むよ。!!」祈る気持ちで手を振りました。
こんな時一番の頼りは自衛隊の皆様です。そして、消防隊、そして警察の方です。本当に頼りにさせていただきます。私達に出来ないことを適切に、しかも迅速にしていただけます。災害時の救いの神ですよ。困ったことがあったら絶対に声をかけて頼んでみてください。親身になって対応していただけますから。このブログを見ておられる方は絶対に覚えておいてください。日本の自衛隊はすごい力を持っています。優しいですし。最高ですよ。阪神淡路大震災の時お風呂を沸かしてくださいと頼み、そうしてくれたのも自衛隊の皆さんだったのですよ。そのときの被災者の顔は新聞で全国に届けられました。女性の方、赤ちゃん、お年寄りのかたには一日も早いお風呂が必要です。頼んでみてください。トイレもそうでした。全てが水洗でしたから瞬く間に使えなくなり、そのとき校庭に仮設のトイレを作ってくれました。女性の方はとても助かりました。それもすぐに使えるトイレでした。
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私が泊まっていましたホテル、ホテル観洋は無事でした。がっちりとしたこのホテルは本当に無傷でした。世界一頑丈で安全なホテルだったことをここで知ることになりました。でも皆様避難されているということで中には入ることが出来ず。指定の避難場所、気仙沼小学校へと向かいました。
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by fujitakikaku | 2011-03-24 11:40 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
いつ燃え尽きるともしれない、火の手は海水面をさまよい、そして焼けた鮪船はその支えをなくし海水面に流されていました。2日目になりましたが、救助の気配は全くありません。避難所になっていたので責任者の方はいらっしゃったのですが、交信も出来ず手が打てないといっていました。阪神の大震災の時は数時間で救援が来てくれましたが・・・・食料もなく2日目でした。でもお腹がすいているなどとは考えることすら出来ませんでした。恐怖だけが身体の中を走り続けていました。横にいる老夫婦は私達はもう帰るところがありません。目の前で家が流されていました。といっておられました。このままならあの時流されていた方が良かったかもしれない。寂しそうなご様子でした。絶対に生き延びた人があの時死んでいたほうが良かった。そんなことにならないように国、そして日本の国民は支援しなければならないと思います。この言葉は阪神淡路大震災の時も同じ言葉が問題視されました。16年前です。でも、今元気になれた被災者は生きていることを本当に幸福に感じています。みんなの力が、仲間としての援助が長い復興には必要です。「おじいちゃん、おばあちゃん大丈夫ですよ。私も16年前に阪神淡路の大震災にあい、家もなくしましたが家族は生きれました。今子供達は家族を持ち、おかげさまで幸福に生活が出来ています。あの時はつらかったけど全国の方からの励ましと義援金はとてもありがたがったです。この国の素晴らしさは人を思いやる優しさです。国も絶対に皆様を守ります。だから安心してください。」そのように話かけると大きな涙を流され私の手を握り、「あなたは阪神淡路大震災にあわれたのですね。ありがとう」といっていただけました。日本人は本当に素晴らしい・・・これからもそうあり続けて欲しいと思いました。これからの復旧の援助をしっかりとしていかなければなりません。やがて新聞報道も来なくなります。それからが本当の戦いになります。あの時一ヶ月後に東京で地下鉄サリン事件が起こり、新聞、報道、国もそちらに向かいました。そのことを私達は決して忘れません。全てが東京が中心でありすぎます。今、原発の事故で東京都の水が問題視されています。そちらに全てが向かないように被災者の皆様は団結して声を大きくして自分のして欲しいことを地域単位で纏め上げて要望されることが重要です。代議士の人たちは特にそうです。何のための代議士ですか。私が気仙沼にいた間でも代議士の誰も来ていなかったのが寂しい限りです。東京の問題が大げさに報道されます。駄目です。今大変なのは三陸地方、東北なのです。なんだか阪神淡路大震災、その後の地下鉄サリン事件の展開に変っていくことが心配です。

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by fujitakikaku | 2011-03-24 11:18 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
朝日が差し込んできました。その目の前にある光景はまさに地獄そのものでした。こんな世界が現実にあることを今までに考えたこともありませんでした。海面にはまだ燃え盛る残骸が右へ、そして左へ・・・地獄の海です。焼けた鮪船が幽霊船のようになっていました。太平洋向かうあの雄姿が・・・涙が止めどもなく流れ始めました。神様はどうしたのだろうか・・・
船の中には誰もいなかっただろうか・・・悲惨すぎます。
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by fujitakikaku | 2011-03-24 10:38 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(1)
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大好きな気仙沼が津波に飲み込まれてしましかした。
あの時のことを、ここに記録したいと思います。

「気仙沼地域HACCP事前審査」の予定です。
 今日の予定は先ず阿部長商店マーメイド食品を審査することになっていました。阿部工場長、佐藤課長にお会いし、これからの発展についてもお話に花が咲きました。気仙沼の美味しい魚を海外にも出していけるチャンスが到来です。この機会を確実につかんでいきましょう、ということで、お別れをしました。対EU輸出許可についても申請のお話も出来ました。
 そして、二印大島水産大島社長との面談、厳しい時勢ですが、合理化を進め、効率的な生産体制に入るということで衛生面での確認をレベルを更に上げての検討をしました。

 株式会社ミヤカン様では寺田社長、杉山次長とも工場を案内していただいて将来の発展性について大いにお話が出来ました。確実に皆様の努力がより確実に実を結んでいるように思えました。
そして、3月11日翌朝、村田勝正会長(気仙沼市水産加工業振興協議会)、菊田専務、小山係長と地域 HACCPを更に有効にしこれからの振興策についてもお話をしたところでした。(市内でも海辺に近い事務所でしたが迅速な避難が出来皆様全員無事でしたということでした。本当に良かったです。)
 マルヤマカ高順商店高橋社長、専務を訪問し、海外への輸出に向けての商談が来ているということでした。地域HACCPを武器に進めることが出来ると、そんな話が出来ました。
工場を出て、天気が非常にいいので桟橋まで歩くことにしました。
途中水鳥が春の訪れを教えてくれるように、楽しそうに水遊びをしていました。とてもいい光景に会うことが出来ました。
しかし、桟橋の食堂(この食堂は、私の目の前で津波の中に飲み込まれていくことになりました。
「女将さんラーメン美味しかったです。ありがとう」と伝えてここを出ました。
(女将さんの安否が心配です。ご無事であることを心よりお祈り申し上げています。美味しいラーメンまた作ってください。)に入り、ラーメンを食べることにしました。醤油ラーメンはとてもあっさりとした薄味でツユがとても美味しくおつゆまで全部頂いてしまいました。ここからは気仙沼の全景が素晴らしい形で見ることが出来ます。その光景にうっとりとしていました。悪夢は予想だにしていませんでした。
午後から株式会社斉吉商店斉藤社長、及川マネジャーにお会いしました。工場内は清潔に維持され、書類も見やすいように整理されていました。
「完璧ですね。」
「ここまで管理が出来るようになりました。」斉藤社長は嬉しそうでした。4月には大阪の阪急百貨店で催事に出ます、ということです。大阪の町は大きく変貌しています。
「それは最高です。家内と一緒に絶対に行きますよ。大阪でお会いしましょう。」
満面の笑顔でした。こうして皆さんが一生懸命に食品作りに真剣に取り組まれる様子と直接接触するたびに、心の中で「頑張れ!!」エールを心から送っています。
次の阿部長商店鮪センターの約束には時間があり、歩いて行こうと思いました。
約束は15時、今14時30分です。
歩いて15分くらいで天気も最高、
でも
斉藤社長は自動車で送るからとしつこい。
しかたなく、車に5分でつきました。

このしつこく、乗って!!と言っていただいたことが命拾いとなりました。自動車で送っていただいたことが私の命を救ったことを後から知ることになります。
早すぎます。案の定5分で着きました。早く来てしまいました。
仕方がないので事務所でセンター長を待つことにしました。コーヒーを頂き始めたそのときでした。
大きなゆれが突然始まり私は机の下にもぐりました。
パソコンを抱いて、ところがこのゆれが更に強烈なゆれとなり、天井から蛍光灯が落下、パソコンの割れる音、窓ガラスはけたたましい音を発してわれ落ちていきました。そのゆれの長いこと、3分間はあったのではないでしょうか。でもどうにか止まりました。
そのとき「先生どこにいますか?」小川センター長の大きな声が聞こえました。
ここにいます。
瓦礫の中から小川センター長に引き出してもらいました。
「やれやれえらい目に逢いました。」というや今度は
「何を言っているのですか、すぐにこの上に上がってください。!!」それは合同庁舎の裏口でした。
津波が来るかもしれませんから、とにかくこのビルの屋上に、出来るだけ高いところに登ってください。
そういって私の身体を押してもらいながら5階の屋上まで上がりました。後から後から沢山の人が避難してきました。その間は3分くらいでした。
私の横に老夫婦が不安そうにしておられました。外を見るとなんだか潮の流れがおかしいのです。おじいさんが私に「津波ですよ。ご主人は気仙沼の人ではないのですか?では、津波について教えましょう。」落ち着いた様子で解説が始まりました。「徐々に海水が沈んでいっていますよね。」確かに沈んでいっています。いや、絶対に沈んでいる。間違いなく沈んでいっている。・・・・・・・・・
そして、逆流が始まりました。
おじいさんはこれはいつもの津波と違う、と大きな声で震えていました。
私も怖くなりました。その次の瞬間大きな白波が逆流し目の前の自動車を流しはじめました。そして、フェリーのチェーンが切れ、猛烈な勢いで流され始めました。大津波の始まりでした。その勢いはまたたくまに広がり、気仙沼の町へと唸り、水煙を上げて流れ込んでいきました。
逃げ遅れた人達が工場の上から救助を求めていましたが、手助けをするすべもありませんでした。この濁流は油臭く、しかもドス黒い陰湿な色をしていました。地獄からの濁流といった感じでした。
そして、その後爆発音がしました。ドカーン!!、ドカーン!!轟音を伴い黒い煙が立ちこめ大きな炎が上がり始めました。・・・・・・・・


①少し対岸の部分で潮が引いているのがわかります。
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⑤確かに引いています。
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逆流が始まりました。
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⑮渦を巻き始めました。
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⑰堤防を越えているのが分かります。これは危険だ・・・・
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⑲桟橋に置かれた車が押し流されていきます。
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合同庁舎の方へと流れ込み始めました。これからは地獄でした。
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斉藤社長に車で送っていただかなかったら、途中で地震にあい、道端にしゃがみ込み、終わるのを待ったと思います。そして、また歩いてマグロセンターに向かったと思います。津波など考えてもいませんでしたから。そうしたら間違いなく津波に飲まれていたと思います。もうこの世にはいなかったと思います。斉藤社長が強引に「車に乗って!!」と言ってくださったことに神のお告げを感じました。本当にありがとうございました。
そして、小川センター長のすぐに避難して、ここから上にあがってと連れて行かれたあの適切な誘導がなかったらこれも5分くらいの一瞬の間でした。ありがとうございました。素晴らしい人に助けられました。素晴らしい人たちは本当に私の心の財産です。
by fujitakikaku | 2011-03-23 10:24 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(2)
気仙沼の港は、町はまたたくまに火の海へと化していきました。まさに地獄絵図でした。
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復興への道は険しいです。でも、可能性を探して、そして進みましょう。
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先ほどのテレビのニュースで各地に義援金が1億円ずつ支給されると聞いています。
この義援金が何に使われていくか、管理が必要と思います。さしあたって薬、水、毛布、使い捨てパンツ、ベッド・・・とかに使われる思いますが、そこは皆で良く考え、気仙沼は死んでは駄目ですよ。そのための義援金です。健康な人がいてくれての地域です。むやみに薬を飲むのではなく、賢者が病気にならないように、精神的に安定するように、そしていかなければなりません。精神的な不安は生活の不安定さに対する不安から来るもので、薬やケアでなおる確立はきわめて低いと思います。ましてや防止できるとは思いません。大切な義援金、支援金は気仙沼の復興に向けて使うことを考えてください。元気なお父さん、若者が沢山いてくれて町は活性化します。これから義援金などがどんどん来ますが、使ってしまえば何に消えたか分かりません。ここ数ヶ月は世界が、日本が注目していますが、どこまで続くかも心配です。私達の時は一ヵ月後に東京で地下鉄サリン事件が発生し、テレビ、新聞の報道はそちらに向けられました。くやしかった16年前を思い出しています。
気仙沼の被災地でおにぎりはないのにテーブルの上に沢山の薬を並べ飲んでいる人を見ました。薬を飲まないで支えている人の健康が心配です。病気にかからないようにするには経済的安定が先ず必要です。気仙沼は水産の町です。水産業界をどのような行程で復興するかの青写真が出来るまでこのお金を基金として置いておいてもいいと思います。これから数ヶ月はいろんな支援があり、国も守ってくれます。問題は半年後、一年後・・・それ以降となります。賢者がいなくなり、会社がなくなったらこの町には誰がいることになりますか。この素晴らしい財産を誰に託するのですか。義援金には全部私なら領収書をつけます。そして、公開していきます。何にどのように使われていくのかを、これまでに皆様の税金はどれほど国に納められてこられましたか。
水は「沢の水」を使って沸かしましょう。雪解けの素晴らしい水に気づくと思います。この水が気仙沼に沢山の魚達が集まる要因を作っています。唐桑の牡蠣のお話を思い出しました。仕事がない間はこれも仕事にします。アルバイトにしてはどうでしょうか。義援金をバイト代、給料にしてもいいと思います。炊き出し担当もバイトでいかがでしょうか。とにかくお金は大切にしてください外部からのボランティアの人より、子供達、お父さんさん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん達の炊き出しの様子ははるかに心があったまり、しかも上手です。
幸いにもそうした人たちがまだ今ならいらっしゃいます。私達も出来たら義援金で送り、現地の人に任せるのも方法の一つではないかと思います。ボランティアの費用は現地の方の明日の糧になると思います。大阪から気仙沼へ行くだけでも一人交通費だけでも7万円かかります。このお金を被災地に送ればその代わりをしてくれる人が今ならいます。現地にいてそのように思いました。薬、ぺっボトル等に義援金が消えても町は復興しないと思います。

今年の冬は厳しい春でした。春は来るのだろうかと思ったくらいです。
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春はやってきました。神戸の町は花で一杯です。
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by fujitakikaku | 2011-03-22 14:38 | 日本の水産業 | Trackback | Comments(0)
今回の巨大震災・津波に遭遇しましたが多くの皆様の優しい支えをいただきまして、無事に我が家へ生還できました。ここに心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。どのように乗り越えたかを記録に残しておきたいと思いました。

気仙沼へは年に4回以上は参ります。水産関係の仕事で加工業者の方達と一緒に仕事をさせていただいています。気仙沼に水揚げされる魚介類を、安全で安心できる食品として消費者に届けるそのための地域作りを「気仙沼HACCP」として一定の基準を作り、衛生管理、品質管理に務めてまいりました。今回はその事前審査のために訪問したそのときのことでした。気仙沼の朝はとても綺麗で素晴らしくホテルからの景観は私が最も好きな気仙沼の朝の光景です。この時期5時50分頃には夜が明けてまいります。薄霧の中に行きかう船をも見ることが出来ます。こんな素晴らしい気仙沼で悪夢の津波が・・・・。このとき予想だにするすべも有りませんでした。

気仙沼の港は朝霧の中、朝日でピンク色に染まっていました。素晴らしい光景でした。
(ホテル観洋1607号室より)
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夜明けの形は毎回違います。いろんな素晴らしい光景を展開します。(ホテル観洋1607号室より)
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3月9日に伊丹空港から仙台へ飛行機で向かいましたが、着いたとたんに地震の知らせです。でも空港線は遅れてはいましたが運良く丁度出発するところで1時間の遅れで出発しました。どうもおかしいのです。大きな地震があったみたいです。これでは新幹線は・・・と思っていました。そうだバスなら大丈夫かもしれないと考え、案内書で気仙沼行きのバスの時刻を確認しました。丁度気仙沼行きが出るところでした。本数の少ないバスにラッキーでした。飛び乗りまして、途中バスからの景色は雪が降りしきる光景でとても綺麗に感じました。約2時間30分バスは順調に走り、気仙沼に着きました。雪は強く降り始め肌寒い夜になりました。でも、ホテルは温泉で快適でした。明日からの仕事の用意をして再度温泉へ・・・塩分を含むこの温泉は身体が浮いたように感じもし、とても快適ですか。身体がスーとなじんで行きます。しばらく目を閉じて感慨にふけっておりました。・・・・時間がこのまま止まって欲しいとも思いました。
あの大地震、津波、火災が起こることなど考えもしていませんでした。
by fujitakikaku | 2011-03-22 08:55 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
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復旧、そして復興へと向かわなければなりません。三陸地方は勿論のこと特に気仙沼は重要な水産漁業の食糧基地として、重要な位置にあることは日本国民が認め、認知しています。国民は自分達のためにも一日も早い復旧、復興を希望しています。復旧にあたり、私は16年前に阪神淡路大震災を経験しました。復興の中でとても重要なことは生活の糧を復旧させて、住民の生活を安定させることに有ると思います。
沢山の国からの援助資金、日本の皆様だけでなく、世界の人たちから届けられてまいます。このお金を大切に有効に使うことを忘れないようにしてください。気仙沼がどこから復旧に向かうのかを真剣に考えることです。気仙沼は水産の町です。水産業界が復旧する。このことが気仙沼を希望へと導くと確信しています。16年前の震災時に義援金として30万円を私には支給されました。あの莫大な義援金がどのように使われたかは分かりません。崩壊した家を撤去するだけで200万円必要でした。義援金支援金がどのように使われたかが分かりません。このお金を横領したものがいたくらいです。とにかく厳重に管理し、大切に有効に使って欲しいと思います。
義援金の使い方は気仙沼市民の決意として使われ、そして必ず気仙沼の復旧と復興に向けて計画的に使われるべきと思います。全ての使途は記録し、後にどのようにして使われ復旧したか、復興したかが分かるようにするとそれは貴重なものになるだけでなく、義援金を送っていただいた人たちへの説明と御礼が明確に出来ると思います。是非そうしてほしいのです。義援金をファンド(基金)として水産関係の会社の復興に先ず有効に使うことが私は気仙沼の将来に繋がると思います。若者達がこの地で水産関係の仕事を続けることができるようにする。これが私達の使命と思います。
私達もお父さん達からそうして受け継いだようにです。株式会社気仙沼をどうして作り上げるかを考えることが大切です。気仙沼が一つの会社と考えて復旧に向かうのも方法の一つと思います。
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by fujitakikaku | 2011-03-21 19:44 | 日本の水産業 | Trackback | Comments(0)
この度の東日本大震災により被災されました皆様へ、そして、水産関係の皆様へ心よりお見舞い申し上げます。
私自身もその当日気仙沼にて水産加工業者の方々とお話をさせていただいておりました。年に4回は少なくとも訪問させていただき、安全安心の水産物をこの町からお届けするというテーマで、「気仙沼地域HACCP」に取り組んでまいりました。受けられた被害は甚大で、どこからどのように手をつけていったらいいのか、真っ白の状態と思いますが、皆様のあの元気な挑戦力と英知、これまでの諸先輩達の経験を基に復旧、復興されることを固く信じております。私自身も全力で協力させていただきたく思っております。一日も早くもとの元気な気仙沼に、そして、三陸地域の水産業界が復活することを心よりお祈り申し上げております。
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by fujitakikaku | 2011-03-21 09:21 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
もの凄い異臭をを放した、どす黒い海水は気仙沼市の町を覆いつくしました。地獄絵です。工場の屋上近くで逃げ遅れた人の救いを求める声がしていました。私達もどうすることも出来ませんでした。完全にこの合同庁舎の周りも水没していました。空は不気味な青さをしていました。その時です。ドカーン!!ドカーン!!大きな爆発音がしました。重油タンクが爆発したのです。炎を上げた重油が湾内に流れ込んできました。合同庁舎の目の前にあったタンクからは身震いするほどの黒煙と炎が立ちこめこちらに流れ始めました。少し海水の流れが反対方向の対岸を向き始めその炎は対岸のふちを流れ始めました。潮の流れは湾内、それも対岸に向かっていることから気仙沼の湾内へと向かいました。そこには住んでいらっしゃる人もいます。避難されていればいいのですが・・・造船所が対岸に沢山あります。それらに飛び火しているように見えました。凄まじい勢いの炎は一晩中燃えしきり、合同庁舎から逃げることの出来ない私達はただただ無事を祈るだけでした。風向き、潮の流れが変わればこの炎では全てが終わりです。恐怖の中で夜を過ごしました。

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by fujitakikaku | 2011-03-21 00:43 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)

フジタ企画社長藤田八束が、出張先等で出会った素敵な景色やお宿を、趣味の写真満載でご紹介。HPはhttp://www.fujitakikaku.co.jp/


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