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藤田八束の日記

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フジタ企画社長藤田八束が、出張先等で出会った素敵な景色やお宿を、趣味の写真満載でご紹介。HPはhttp://www.fujitakikaku.co.jp/

<   2011年 03月 ( 41 )   > この月の画像一覧

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今庭にはムラサキハナナが沢山咲いています。道路のコンクリの剥がれの間に種がこぼれたのかこの隙間からも可愛い花を咲かせていました。可愛いのにとてもたくましいです。
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皆さんは現実が今の環境なのです。私も当時は嘘だろう、これは夢の中だと思っていました。特に、報道が多いとそう思うのです。でも現実なのです。だんだん報道も減り、ニュースの頻度も少なくなります。でも被災の現状は同じです。いやむしろ悪くなっていきます。今は寒くて大変ですが、これが暖かくなるにつれ雨も多くなり環境はより悪化していきます。ですから私の経験からお伝えしているのです。ボランティア活動も激減します。だって皆自分の生活がありますから。これが現実なのです。水に放射性物質が混入、低レベルの濃度といってもこれだけの騒ぎをします。それは東京だからです。どうもこの国ここがおかしいところです。全てが東京を中心に考えすぎています。これからの復旧、復興は日本全体を見て、世界を見て気仙沼がどのようにあるべきかを考えて対処していくチャンスだと考えるべきです。日本国民を信じて前に進んでいきましょう。

基本的な生活環境を再確認します。
阪神淡路大震災との違いの一つに気仙沼の道路の状態がいいということです。私達は地割れ、道路のでこぼこが酷くその上ににマンションのような硬質のコンクリート、鉄骨が瓦礫化して覆いましたらこの撤去は大変でした。ほとんどが自衛隊による作業となりました。気仙沼の合同庁舎の2倍くらいのマンション、オフィスが道に倒れ道路をふさいでいました。こんな中活躍したのが自転車とリヤカーでした。昔の人はいいものを作りました。人力でこの効率の良さです。自転車が街中に散乱していましたが集めて整備したらどうでしょうか。桟橋の待合室から街中の倒壊場所に沢山放置されていましたよ。リヤカーもおじいちゃんに作ってもらいましょう。ガソリンもいりませんし。むやみに車に乗るのは辞めたらどうでしょう。私からしたら自転車でも気仙沼の端から端でもわずかです。あまりにも自動車に頼りすぎていませんか。

トイレの整備
もう水洗トイレはしばらくの間使用出来ないと思います。下水処理場は破壊していませんか。破壊していないといいのですが。皆さんの汚物はいったん集められて処理され、海へ放流されていました。だから沿岸で養殖してもその水産物は安全であったわけです。養殖の牡蠣も生食が出来たわけです。これは下水処理できることが前提です。私達は校庭に穴を掘ってもらい板を渡し、囲ってもらいトイレとしてもらいました。使ったら埋めて次に作ってもらう・・・。を繰り返しました。ペーパーは燃やしました。ドラム缶にいつも火を用意しておき、燃やしました。燃えるゴミは燃やす。木を燃やす。この灰はトイレに入れて埋めました。消毒用に使用しました。そして、いつかはここに花を植えることを考えておきました。紙オムツは出来るだけ使用しない。沢山の布オムツを皆で用意し、洗濯して乾かしました。校庭にたなびいていましたよ。汚水は穴を掘って流しました。

汚水は処理するところが無いのでいずれは海に流れます。海の負担を最小限度にすることが大切です。
生ゴミは木屑を混ぜて堆肥作りです。千厩で大量の木屑で肥料作っているところ見ましたよ。教えてもらったらどうですか。これはやがて公園が出来ると思いますがそれに使えます。気仙沼の近くには室根村、東和町など沢山の林業の山々がありますよね。タイアップしてもらってはどうですか。協力をお願いするのです。今までのように生ゴミは処分できませんことを知っておくべきです。
私は気仙沼に入る時に高速東北道路、川崎村を通り、千厩をへて行くことが一般的でした。たまに一の関経由もありました。川崎村の皆さんも心配ですが、どんな状況でしょうか。このルートの住民の方との連携も大切と思います。川崎村には以前から気仙沼の水産加工品が沢山用意されているのをいつも見て、お店の方にありがとうございますと御礼を言っていました。どうしておられるか、気仙沼もこのルートの確認をしてみてください。新たな活路があるように思います。

お風呂
お風呂についてはいいですよね。昨日も書きましたし、その後の状況が知りたいです。満たされていないならご連絡ください。水を運ぶのも自衛隊の人に頼むのもいいのですが、これからは水産加工場で海水を運ぶのに使っていたタンク、アレがいいと思います。無ければ買ったらどうですか。メーカーに言えば無償で提供してくれますよ。これから復興がかかっているのですから。断られたら私に言ってください。再交渉しますから。そして、大川の上流から運んだらいいと思います。大川の上流も綺麗な水が豊富でしたがどのようになっていますか。だめなら室根村です。絶対にダメだと考えないで可能性を探すのです。とにかく気仙沼の小川の水は綺麗で実に豊富です。ミネラル水よりも品質はいいのではないかと思うくらいです。

住居について
先ず仮設です。この点も昨日書きましたが贅沢なものは禁止です。どうせ仮の住まいです。環境の衛生維持に努めます。でも3年、5年と住む場合もありました。その点は改善を進めたらいいと思います。個数も減ってきますから。この集団の生活の中で子供達が意外な成長をすることにきずきます。子供達の仲間意識の素晴らしさ、何かに役に立ちたいという意思、これはもう感動すらしました。人生の中でこの被災経験は決して無駄にはならず、大きく成長する一つにもなると確信します。

子供達に光に満ちた希望を見つけ出すのが私達の仕事だと思います。ご先祖様は同じように私達に素晴らしい気仙沼を残してくれましたから。荒廃したこの気仙沼を蘇らせて子供達に後を託せるようにしましょう。頑張りましょう!!

さあ!!希望に輝く明日の気仙沼作りに向かいましょう。なんだかんだ言っても希望の無い町に人はとどまりません。一次的にこの町を避難のためと泣きながら去ったのに二度と帰ってこない避難者いないといいのですが。打つ手が遅いとそうなると思います。日々のボランティアに追われていると気が付いたときには若者がもういないということにもなりかねません。絶対に町はこの青写真を市民と一緒に作ることです。気仙沼は誰が考えても水産の町で水産なくして気仙沼は無いと私は思います。一日も早く素晴らしい町作りの青写真を作りましょう。


追伸:気仙沼の方で私のブログ見ている人がありましたらご連絡ください。
by fujitakikaku | 2011-03-28 21:39 | 日本の水産業 | Trackback | Comments(1)
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まだ寒い日が続きますが、もう直ぐ春が来ます。近くまで来ています。元気を出して前へ進みましょう。神戸は花が咲き始めています。

お風呂について・・・・・・

お風呂は入れましたか。健康管理の中で不衛生が一番健康によくありません。燃料が届き始めたとニュースでは聞いておりますが。
前に全然無ければ自衛隊の皆様にお願いすることを申し上げましたが、そのことはどうでしたか。自衛隊の皆さんはどんな所でも、たとえ砂漠の真ん中で敵がいる中でもお風呂に入れる訓練をし、お湯を沸かし、風呂に入る設備を持っています。泥水を飲み水にする設備も持っています。海水を真水にする設備ももつていますよ。とにかくお願いしてみてくださいよ。絶対に実現しますから。私達の時は実現してくれたのは自衛隊の皆様でした。当時の新聞を見てください。嘘か本当か分かりますから。女性、赤ちゃん、お年寄り、お風呂が健康に最も大切です。

北海道のサケ風呂の話をしましたがこれはどうですか。やろうと思うことですよ。北海道ではこの風呂に毎年若い男性も女性も利用しています。(勿論別々です。混浴ではありませんから、ご安心ください。)お風呂は大賑わいで楽しんでいます。

次は仮設住宅の併設をお願いします。これは実現に時間がかかります。

次の方法は高台の方が比較的被害が少なかったと思いますが、広いお風呂が無いかということです。お知り合いどうしでお世話になることもお願いする。これは逆に声をかけられると思います。私達は電気は直ぐに来ましたが、ガスと水道が来るのには3ヶ月かかりました。その間は風呂など考えられませんでしたが、地域によっては一ヶ月で揃った地域もありました。息子の友達のおうちのお風呂が沸かせるようになったからというので3日に1回お世話になりました。そのうちに遠くではありましたが銭湯が開いて使えるようになりました。当然正規の値段です。人でごった返して、湯船の中では人と人がはげしく触れ合いました。それでもみんな嬉しく帰りには全部のお客様が「どうもありがとう生き返つたは・・・」と感謝の言葉を番台の奥様に声をかけていました。本当に心の底からの感謝の言葉がこの私にも感じられました。当然私も「本当にありがとうございました。天国!!」当時長男は高校生でしたが二人で銭湯がよいをしました。とても印象にあります。勿論、家内と娘も電車に乗って通いました。
もしも、市内の旅館、ホテルでも開放できそうなところがあったとしたらお願いしてみてはどうでしょうか。でも決して無料ではダメです。長続きしません。絶対に正規の入浴料金は絶対にお支払いすることが大切です。それでも本当にありがたいものです。そのほうが早くその機会にたどり着きます。お湯に入れるように自衛隊も、警察も、消防隊も協力しますよ。避難場所からの送迎ぐらいは手伝ってくれると思います。
お風呂は疲れを取り、元気を取り戻す最高の手段になります。
気仙沼プラザホテル、ホテル観洋さんへお願いしてみてはどうでしょうか。ホテル望洋さんはいかがでしたでしょうか。駅前のパークホテル様は被害の方はいかがでしたでしょうか。利用させていただければ随分と被災者の方も助かると思います。市を通してでもいいと思います。施設が使えないなら無理ですが、それでも改修を手助けすれば改修も早くなるかもしれません。
後は室根村あたりに銭湯か、温泉地施設はないのでしょうかね。集団でバスで入浴に行くのもいいかもしれません。
どこまで行ったらお風呂に入れるのでしょうか。懸命な努力が必要です。何としてでも風呂に入るという気持ちが無いと実現できませんよ。
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神戸の人たちは本当にこの花を見て癒されています。街の中で綺麗に咲いています。そして、語りかけます。「いつもありがとう。綺麗だね。」

追伸:気仙沼の多くの人に私のブログ見て欲しいと思っていますが、PCがないので・・・・良かったらどなたか
この話が役に立つ話だったら伝えてください。水産課の熊谷課長に見てもらいたいのですが。地域HACCPメンバーの誰かに是非見ていただくとありがたいのですが。市役所ではHP見れませんか。見れたらご意見ください。
by fujitakikaku | 2011-03-27 21:34 | 日本の水産業 | Trackback | Comments(0)
義援金をどのように現地に届けるか・・・・
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このこぐまは震災の時に買いました。台風のときに鉢がわれ、そのときに片足が取れてしまいました。でも、こうしていつも窓辺の花と一緒にぶらぶらとブランコをしてくれます。あの時は大変だったけど、と時折思い出します。今日はハナカンザシの公園にいます。

義援金がどのように使われていくのかはさほど興味の無い人もあると思います。とにかくなんでも良い被災者の皆様に少しでもお役に立てれれば・・・・。そんな気持ちも勿論沢山有ると思います。
義援金を送る側、使う側には思いやりと、感謝は必要だと思います。それがあるから義援金だと思います。
100万円の義援金が町で集まったとします。このお金どのようにしてどこの被災者にいくら届いたのか、そしてどのように使われたか。それは知っておきたいものです。これからも災害は起きます。起きるものとして考えて対応すべきと思います。100万円の義援金が仮に50万円しか届けられなくてもなぜそうなるのかだけ知っておけばいいと思います。なるほどそれは仕方ないでしょう。ということであれば半分が諸経費ですから100万円送ろうと思えば200万円を集めないといけません。このことは知っておきたいものです。

それから、ボランティア活動ににも色々とあると思います。どうしても人手が必要、手段が、・・・など色々あると思います。本当にボランティアとして現地に行かないといけないものと、こちらから準備をして現地の被災者にやってもらうことが出来ることもあると思います。現地にいまして特に感じたのが子供達の元気さです。素晴らしい一生懸命にお年寄りのお世話小さい子の面倒を見ていました。掃除なども自主的に実行していました。この子供達の機敏さには全く感心させられました。この子達にいくつかを託したら、やってのけるものが沢山あるし、気仙沼の復旧、復興の担い手に絶対になると判断しました。(ここでの子供達とは、小学生から高校生です。特に高校生は子供達を指揮していましたよ。とても頼もしい光景でした。)

国が行政が・・何もしてくれない。・・・もいいのですが、やれることを考えてはどうでしょうか。私たちも例えば炊き出しなどは
①材料
②道具
③人手
が必要と思いますが、すき焼きをしたいと思います。何人いらっしゃいますか、お年寄り、お父さん、お母さん、おにいちゃん、高校生、中学生、諸学生、子供・・その人数が分かれば材料のおおよそが分かります。
後はすき焼きをする鍋です。それは無いならこちらで用意します。作れますか、作り方を教えます。・・・・
人では十分にいます。皆で作るのが一番です。使った容器は車に積んで洗いに行きましょう。感謝の気持ちはこうして湧いてきます。健康な動物が私達のこの身体を支えていてくれる。病気にかからないように健康に牛達はどんなに大切に肥育されているのだろうか。こうして皆が良く考えるようになることが牛の口締疫防御にも関係してくるかもしれません。宮崎の肥育場を観にいく機会がいずれは出てくると思います。みんなの健康は生き物達に支えられている。美味しく食べるのではなく、なぜ美味しいのかを良く考える教育にもなるはずです。鶏も同じかもれません。なぜこんなに鳥インフルエンザで毎年大量の鶏が処分されるのだろう。食育
の基本と思います。
必要な経費から現地での規模が決まります。現地に実行プロジェクトを作ってもらいます。
こうして実行すると最高のボランティア活動がこのことでは出来ます。

大阪から仙台を通り、気仙沼へ行くのに交通費だけでも往復で約10万はかかります。それに宿代、間違えて日当など考えたらこのために一人20万円はかかります。10人で行けば200万円です。であればこの200万円は現地の人に支給したいものです。それはこれから必要になる復旧の資金に将来学校に行く教育資金にしてもらえれば最高です。ボランティア活動も色々と考える必要があります。そのためには一つ一つを克明に記録していくことです。ただありがとうございますではなく。確実に記録に残すことで感謝です。それだけの費用かかるのならこれをやっていただきたいのですが・・・・。これも勿論有りです。
復旧復興には長い長い道のりがあります。息切れしないように持続的に支援することが必要です。ですから現地は何にどんな目的に使うのか、使ったのかを明確にしてもらえれば次の義援金をどのようにして集めるかを考えます。勿論人材も考えます。大切なことは出来る限りのことを自分達で実行するということです。
元気なお年よりも一杯いらっしゃいます。じーっと毛布に包まっていたら誰でも気がまいります。また、ここで薬になります。元気が一番の薬です。声を掛け合って協力することを見出してください。こちらは皆さんのご希望に懸命にこたえていきますから。

現地での義援金の使い方考えてください。こちらも確実に届けるにはどうしたらいいのかも知りたいのです。義援金はあわてません。だってこれからが長いのですよ。周りが見えてくると不安になってきます。お互いに連絡を取り合いましょう。
by fujitakikaku | 2011-03-27 14:58 | 日本の水産業 | Trackback | Comments(0)
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仮設住宅についてです。
仮設住宅の前に瓦礫の撤去です。撤去には様々の法律があり困難をきしています。被災地は国に対して何とかして欲しいと言っておられますが、そうではないのです。何とかして欲しいといわれるほど分からないものはないのです。現地がどうして欲しいのかを具体的に伝えれば対応が早いのです。要するに会社で言えば稟議書です。社長に対してこの点でこのように困っています。でもこうすることで解決しますのでここに費用の明細を添えて稟申申し上げます。と書くではないですか。決済は数分です。それは何をどのようにしたいかが明確に記載されているからです。この通りに行政に持っていくことです。書式は少し違うかもしれませんが、そのときは書き換えればいいでしょう。中学生でも指示したら書類はつくれます。国はすぐに動きます。今日のNHKでの報道でも政府は明言していましたよ必ずバックアップするからと。今は皆が分かりやすくして協力することが復旧に向けての早道です。地元地域の集会はやっておられますか。しかもテーマを決めて、好き勝手を言う人が必ずいます。これも不安から来るものです。自分達がどのように困り、どのようにしているのか、使用としているのか。その中で人的なもの、費用をともなうもの、・・・いろんなものが出て来ます。これが具体的なものです。その具体的なものがないところに義援金が行ってしまったらどうなってしまいますか。明確にすることです。
もう自分達がしっかりしないと復興は無いと16年前の私達は判断しました。それは地下鉄サリン事件でした。
神戸の町に沢山の花が咲き始めました。自分らでやれることを探しました。花の苗を一つは買うことは出来ましたよ。そして、窓辺に置いて、寒い中でも窓辺は暖かく、やがて可愛い花を咲かしてくれました。もう感動でした。自分達は被災しているのだということをしっかり自覚しました。でも戦争の時はどうだったのだろう。なとどと考えたりしました。きっともっと大変で明日にも爆弾が落ちてくる。鉄砲の弾が飛んでくるそんな悲惨と恐怖の中で父と母は自分を守ってくれたのではないか。そんなことも考えていました。
仮設住宅はこの建設に当たっても規制があると思いますが、だからこれでは無理、と絶対に考えずに今特例が絶対に通ります。気仙沼の市民がこうしたいという計画書、意見書であることが重要です。(このことは非常に重要ですよ。)
元受は絶対に気仙沼建設組合であるべまです。社長は市長でもいいではないですか。各建設会社が各部門と考えてすすめていってもいいと思います。きっと良い仮設住宅が出来ますよ。出来たら少しでも室根村にも近隣の町にも協力を呼びかけ木材を提供してもらい少しでも地元の木材を使えば自然に対する素晴らしさ、感謝が出てくると思います。木々の香はとてもいいではないですか。杉の木は人間から放置されて花粉症の原因にもなっていますが、役に立てれば嬉しいし、これで山の手入れが行き届くようになれば杉の木は花粉を飛ばすことを押さえるかもしれませんし、花粉症の原因となくなるかもしれません。
よく考えて作られましたね。この仮設住宅は最高の復興の場です。こんな絵が私には見えるのですが。書いてみましょう仮設図を山の向うでもいいではないですか。そして、みんなの気持ちが落ち着くと復興に直ちに向かいます。従って、町の復興計画図が必要です。行程表が必要です。

被災者です。謙虚に支援を受ける。そして、それに具体的に答えていく。これが絶対に必要です。勿論仮設住宅は先行しますが、並行して町の復旧復興の行程表は並行して直ちに立ち上げます。これが無いと若い人、働き盛りの人は将来不安からこの町を去っていきます。町に建物が出来ても、残念ですがもう帰ってこないと思います。
より具体的に考えて実行していきましょう。私はこう書きましたがこのように書くことで、より良い考えがあることを心より切望しています。コメントください。ご意見ください。
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次は復旧復興について考えてみました。
by fujitakikaku | 2011-03-27 11:08 | 日本の水産業 | Trackback | Comments(0)
義援金についてです。
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その前に本当に皆様本当にありがとうございました。無事に家族の下へ帰り着きました。無傷で帰り着きましたこを皆様にご報告し、ご支援いただきました皆様の優しいお心遣いに対し、心より深く感謝申し上げます。ありがとうございます。
これからは私に、私達に出来ることで復旧、復興に向けてのご協力をさせていただきたく思います。

今日は義援金について少し紹介してみます。
今回の被害が甚大であることは間違いありません。
一方、私達は16年前に阪神淡路大震災を受けました。そのときは、沢山の人から被災地域に莫大な義援金を頂きました。ボランティアの方の暖かいご支援も頂きました。義援金は大切な生活費の中から頂いたものであったと思います。これから大切なのはこの義援金の使い方だと思います。今はいろんな報道が入り、テレビに映ったりで考えられなかった場面もありますが、やがて一ヶ月過ぎると激変します。世の中には新たなニュースが流れ始めます。私達の時は地下鉄サリン事件でした。東京で何かがあると異常に騒ぎ始めます。天下の大事態です。悔しい思いをしたものでした。
その思いましたことがどちらがどうでなく、本当に援助をしなければならないのはどちらか、・・・だんだん被災者の声が小さくなっていくのが残念でした。
義援金は大切なお金です。どれだけの義援金が気仙沼に入ったのかは絶対に管理されなければなりません。そして、宮城県に、東北に。勿論東日本大震災に対して世界から送られた金額も正しく抑えておく必要が有ります。どこで管理しているのか。どんな基準で配分されているかも監視する体制を気仙沼の市民代表が行政と協力して行うことは絶対に必要です。
今回は世界中から義援金が集まっています。支援者は皆さんの復旧、復興に役立てて欲しいという願いからの支援金だと思います。その意志に沿った有効な使われ方が大切です。これが間違っていたらもう支援から手を引いていくと思います。
復旧、復興計画を立てて、それにどのように使用していくかを明確にすることが大切です。
現地で私が避難所で見た光景で「赤ちゃんの紙おむつに困っている。」と言っている人がいました。
この瞬間はしかたないにしても、これからは紙おむつのために義援金は使ってほしくありません。鼻をかむティシュペーパーに使って欲しいとは誰も思っていません。それらは使用して廃棄するものですから、長い目で見て、何が必要で何が不要かを考える必要が有ります。現地の皆様の様子から支援者は色々と考えますよ。おばあちゃんがいます。おじいちゃんがいます。いろんな経験があります。物資のないときどのようにして自分の子供を育てたのか、ここで一生懸命に勉強するのもこの時です。きっとおばあちゃんならタオルを送って欲しい、さらし布が欲しいといわれると思います。赤ちゃんの下着、オムツはサラシ、タオルでした。
この頃はアトピーなんかなかったように思います。沢の水は沢山気仙沼にはあります。これから少しずつ落ち着いたらこうしたオムツを洗い干す姿があれば支援者の人たちは感動しますよ。若いお母さん達が一生懸命に子供を育てている。これはまさに日本の宝です。そうするとまた、紙おむつも沢山送られてくると思います。
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私の娘は子供に布オムツを使っています。孫はオシメを替えている時足をバタバタとしてとても嬉しそうです。元気な孫の姿が私にとっても最高の健康の薬になっています。だから薬は一切飲みません。天気のいいときは白い布がたなびいています。

お年寄りの方が沢山の薬をテーブルの上において不安そうに飲んでいました。こんな沢山の薬本当に必要なのでしょうか。減らしてみたら食欲も湧いて元気になるかもしれません。物資の不足が健康を教えてくれるかもしれません。薬代に義援金が使われ始めると底を着くのも早いでしょう。本当の復旧復興を考える必要が有ります。タオルで鼻をかんでいるおじいさんがいました。おばあさんがいました。賢いでよね。洗って使えるのですよね。不要なゴミの山にもなりませんよね。
場所を探します。校庭でもいいでしょうし、許されるなら。適切な場所に瓦礫を取り除き建設します。
集団で生活できる集合住宅を地元の建設組合(気仙沼の建設業者は今は一つになり、見積もりを作ります。そして、住民のための見積もりを作ります。そして、それに関わる人たちの人件費を正当に評価して審査してもらえればキット住民は建設業者の方に感謝されると思います。皆生活があります。そのために人件費は絶対に加味しておくべきでこれは誰もが認めます。)が受けて建設します。個々にはフロ、トイレ作らない。フロとトイレ共同とする。洗濯場もつくり、洗濯機を並べるコミニュケーションの場とします。
テレビも部屋ごとにしないで見る場所を作ります。時間を作り見ることにします。
そして、共同生活をすることでみんなの考え方がまとまってきます。苦労することで共通した必要なものが見えてきます。仕事が忙しいなどあるはずがないでしょう。だって破壊してるのですから。皆が一つの気持ちになることで無駄が見えてきます。これから長い長い復旧の道に入っていくのですから。

義援金の全体が見えるまでは使わないのも方法です。復興の人件費に消えていかないことを心配しています。絶対にそうであってはいけないと思います。わけの分からない諸経費、人件費、日当、謝礼などです。戸籍がなくなっていて、これを作るのに他地区からの支援が必要だといっていますが、経費を確認してください。私の考えは、気仙沼市ベテラン担当者が一人いて、幾人かの指導者(一人でいいでしょう。)がいれば調査は高校生、中学生で瞬く間に出来ます。パソコンの打ち込みは得意です。失礼ですが、職員さんよりも高校生、中学生が速いと思います。パターンさえ決めてしまえば。また広報も子供達にグループを募り編成し、内容を指示するといいと思います。私達の時は一つの市で数十万人でしたが、気仙沼は数万です。ややこしく考えないことです。そして、その費用は子供達に当然支給します。将来の子供達の教育に預金してもらい、又は使うように支給したほうがいいと思います。
支援者の方に「こうして義援金使っています。」・・・・と聞いた支援者は嬉しいものです。
集合住宅の清掃、風呂の用意、トイレの清掃などすべて子供達にやってもらう。そして、お給料を払っていいと思います。ボランティアでなくても絶対に出来ます。気仙沼の子供達は本当に可愛いです。笑顔がたまらなく好きです。避難場所でも暗い顔をしている子供さんはいませんでした。何て素晴らしい子供達だろうと思いました。高校生、中学生達もおじいちゃん、おばあちゃん達のお世話していました。これは気仙沼の財産ですね。気仙沼の皆様が日頃から子供さんを大切にされている様子がはっきりと見えました。

義援金がボランティア活動、人件費、宿泊、交通費に消えていかないように監視して欲しいと思います。大切な義援金です。紙おむつ、薬は是非考えて欲しいほんの一例です。タオルで、ハンカチで拭いて洗って干す、きわめて衛生的です。数年前は皆そうでしたよね。16年前の震災時に村山首相が現地の視察に来ました。警備費だけで3000万円を支払うことになりました。視察の意味はないと思います。メデイアの時代です。どうしたらいいかぐらい考え欲しいものです。義援金の行方は絶対に押さえる必要が有ります。

私は室根山から流れ来るあの沢の水を何度も手ですくい飲みました。美味しいとても綺麗なお水です。お風呂の水、洗濯の水には最高だと思います。私なら沸かしてでもお茶を出して飲みます。最高です。

とにかく知恵を使いましょう。自分達が地球上で生きているということはどうゆうことなのかを、地球のために何かが出来ているからだと思います。この森を守り海を豊かに維持していくには気仙沼の人たちしかいないのです。そのことは私は気仙沼で教えてもらいました。幾度もこれまでに講演会でも、講習会でもお話をしたつもりです。かつおがなぜ、あんなに美味しくなって帰ってくるのですか?サンマも脂を乗せてわざわざ帰ってくるのですか?サケも同じですよね。それは人間にやってもらいたいことがあるからだと思います。それは山と海を守ることだと思います。その人の生活のために付加価値のある魚介類を気仙沼の皆様に提供していると思っています。皆が連携しあいながらこの地があります。
そして、福岡、大阪、東京、北海道の人たちも気仙沼からの三陸からの水産物を重要な食糧の糧としています。復旧、復興は日本人にもかかっているのです。
協力して頑張っていきましょう。義援金は入りと出を正確に管理し、公表できるようにすべきです。さもないといつしか消えていくと思います。明確にし正しく使うことが支援者への御礼になります。

私は16年前に阪神淡路大震災で被災し、家も全壊し建て替えることになりましたがそのときの義援金は30万円でした。絶対に納得できません。あの膨大な義援金、国の支援金はどこへ消えていったのでしょうか。

こんなことにならないようにしましょう。これからが大変なのですよ。

私に対する意見ドンドン下さい。お待ちしています。
by fujitakikaku | 2011-03-26 15:29 | 日本の水産業 | Trackback | Comments(0)
飛行場(伊丹空港)に着きましたら娘が心配して駅まで迎えに行くからと連絡がありました。家族に会い、家内にあったときは嬉しくて涙が流れていました。「よくぞ無事で帰れたものだね。お帰り。」この時の涙は忘れてはいけないものになりました。皆様から心配して沢山の電話いただいていたらしいのです。本当にありがたいことです。皆様の手助けを頂いてこうして無事に、元気に帰ることが出来ました。
翌朝近くの散歩をしました。各家のお庭に、そして公園に沢山の花々が咲き始めていました。16年前に植えた花がほとんどです。荒廃した荒れ果てた庭、道端に沢山の植樹を私達は植えました。そのときの庭にあるハナミズキは今蕾を膨らませています。この花達に励まされて私たちも頑張ってきました。あれから16年立派に町の並木をつくっています。元気であれば絶対に復旧し、復興できます。日本の皆様が絶対に見て、応援をしますから。頑張ってください。
この後は私達が経験した阪神淡路大震災被災時に対応したことと、気仙沼を比較しながらどこがどのように違うか、復旧、そして復興への道を私なりに書いていきます。また同じ点もあると思います。必ず気仙沼の方は見てください。そして、復旧しましょう。確実に、そして、新しい街づくりをしてください。このようになっても気仙沼は絶対に必要な所ですから復旧、復興の可能性を持っています。気仙沼の復興の道が近隣の地区へ影響しそのスピードも上がっていくと思います。兵庫県、関西からの情報も入れていきます。お身体にはくれぐれもご自愛され、やがて春も来ます。長い道のりになりますが、お互いが協力して立ち上がっていきましょう。

水仙の花は春を最も早く知らせてくれます。あの被災のとき美智子妃が庭に咲いた水仙の花を神戸に持ってこられ焼きただれた、荒廃した神戸の町にお立ちになられ、そっと置かれました。この事実を知る人はあまりいませんが、被災者はもう感動し、涙を流して喜びました。これは美智子妃が神戸の病院に病気治療にいらっしていたことから関係するお話でした。今でもこの話は私達は忘れていません。水仙の花はとても綺麗です。1月17日には必ずこの花を見て当時を思い出しています。今も鮮やかな黄色で美しく咲いています。
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復興に向かう時丁度二ヶ月後頃ですが、モクレンの可憐な花はとても心を癒してくれました。私は気仙沼に行く街道で、山々でこぶしの花をよく見ますが、この花はあまり関西にはありません。可憐で、清楚とても綺麗ですよね。東北でもモクレン、こぶしの花を見るとやはり当時を思い出すものです。そして、生きてて良かったと思います。
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三本の梅の木がありますが、この赤、ピンク、白い梅の木は確か震災の時は既にあったと思います。いつもこの季節に綺麗に咲いてくれます。ここは関西の名門校で有名な神戸女学院の生徒さんの通学道路になっています。彼女達が「綺麗~、」「可愛い~、」と声をかけます。とても嬉しいのでしょう。そのたびにきらきらと輝いているように見えます。注目してくれることは花も同じように嬉しいと思います。一生懸命咲いた花はとても嬉しいと思います。この写真の後ろのマンションは震災後に建ちました。学生さんがここから学校に通っています。とても御洒落なマンションです。街も良い方向へと変貌しました。被災者の方たちも早い時期に私達を見ていただいて、これ以上に復興したいと思っていただけるととてもいいと思います。是非その日が来ますように。お待ちしていますよ。
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ムラサキハナナ(別名ハナダイコン)は被災したその年の秋に茨木のおばあちゃんが種を送ってくれました。それから花が咲き、こぼれた種で庭に可憐な愛くるしい花を咲かせてくれます。とても可愛いです。コンクリの割れ目からも芽が出て一生懸命に咲いています。勇気が湧いてきました。
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by fujitakikaku | 2011-03-25 10:26 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
ホテルの高台をお借りして気仙沼市を一望しました。
変わり果てた姿に涙が止まりませんでした。
多くの人の命を落としてしまいました。まだ生存を確認できていない人もいます。手を合わせご冥福をお祈りいたしました。神様はどこへ行ってしまったのですか・・・・・早く帰ってきてください。
三陸の港には、どこへ行っても山の中腹には神社、仏閣が必ずあります。
しかも、海が全部見える高台にあります。
昔からこの津波の怖さを知っている賢者達が子孫のために忘れないように建立し、町の人たちは何かあればここに避難する、という習慣付けがされています。
神様はきっと、間違いなく皆様を支援します。
少なくとも震災前の状態には頑張りましょう。
神様の中には日本の国民が混じっているかもしれません。
多くの学校が高台にあるのもこのような状態になると良くわかります。子供は国の宝物ですから。
希望ある、希望に満ちた日本であり続けるために協力し合いましよう。
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by fujitakikaku | 2011-03-25 09:16 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(1)
家族への心配もありました。連絡がままならない状態でした。市役所へ行き交通網の復旧を確認しましたが、目途が立ちません。明日になれば仙台までのバスが出るかもしれませんということでしたが、これも空振りでした。問題は大阪の飛行機は山形空港しかないということでした。山形までどうして行くかでした。後は青森空港です。でも気仙沼からのアクセスがありません。水産課へ参り熊谷課長にお会いしましたら、「絶対に何とかしますから、お待ちください」と言っていただいたときは本当に嬉しかったです。そして、市役所を出て歩き始めましたら斉吉商店の斉藤社長ご夫妻にばったり、思わず抱き合い涙がこぼれ落ちました。「あの時社長に車で送ってもらわなかったら私は終わっていました。しかも歩きます。近いからといったら、社長にしかられました。」人の運命とは分からないものです。人に助けられそして生きているということを改めて知りました。その後の小川センター長に誘導を頂いた話もしました。「工場は全壊しましたが、絶対に復活して大阪に行きます。先生待っててください。」このお声に私は励まされました。「きっとですよ。待っていますから。」
そして、分かれたその後に、男山本店菅原社長にお会いしました。「社長無事でしたか、ご家族のみなさまは・・・」社員も皆様元気だとお聞きしました。「工場は山の中腹にあるということで今年の御酒もまもなく絞れます。」と言うことでした。良かったです。3月23日のテレビで元気な菅原社長の姿を拝見できました。私も被災前日銘酒「蒼天伝」を頂いていました。春を告げるとても美味しいお酒です。大好きなお酒です。
荒廃した瓦礫の町がうそのようでした。でもこれが厳しい現実です。ホテルに帰り暗い中でぼんやりしていました。そのとき阿部長商店の阿部社長から「先生どうされますか?良かったら報道の方に頼んでみますよ。水沢から通っている人がいますから、」ということでした。何とかして家族の下へと必死でしたので是非とお願いをしました。でも水沢まで行ってもその後がないし、・・・と思っておったところに「いわて花巻空港から大阪への飛行機が出る」という知らせが入ってきました。とにかく水沢までいければ近くはなるので必死にお願いしました。非常に幸運です。阿部社長は「了解いただけましたよ」もう嬉しくなりました。でも水沢から先は分からない状態です。とにかくということで荷物をつくり車に載せてもらうことにしました。報道の方は私がなぜ気仙沼に来ていたのかを聞かれました。水産関係の方と一緒に仕事をしています。詳細に説明しました。とてもいいお仕事ですね。皆と一緒にいい仕事が出来ていることに喜びが込み上げてきました。しかし、これからの不安をお話しました。報道は続けてください。これからが大変なのです。阪神淡路大震災で被災し、家も全壊して頑張った話をしました。私達と違うのは大きな会社が阪神にはありました。働く場所が復活しました。三陸、気仙沼は水産関係の会社が主体でそれも規模がさほど大きくありません。気仙沼を一つの会社として考えて再興することを考えるべきと思っています。それには皆様の援助、義援金が必要です。日本の台所を守るにも三陸は復活してもらわないといけないのです。延々と3時間を話をしました。(ここでお名前を出していいのか分かりませんので三名様の素晴らしい取材班の皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。またお会いできたらと思います。今後とも宜しくお願い申し上げます。)外は雪で真っ白でした。
車中からもホテルの予約も取っていただきました。ただ感謝の念で一杯でございます。そして、家内に電話が通じました。今水沢に向かっている。飛行機の席を予約して欲しい・・・「家内は良かったね。ありがとうございます。」声は震えていました。「お父さん予約取れないよ来週一杯満席」「そうか仕方ない一番早いところで押さえるだけおさえて」・・・・ホテルに着いたのは12時近くでした。途中阿部長さんの皆様に何か差し入れをとコンビにによってもらったりしましたが、ほとんどの商品がありませんでした。それでもダンボール一杯は確保できました。報道の方のほうが沢山です。皆様の優しい気持ちが通じていると思うと嬉しくてたまりません。頑張れ気仙沼!!
いつでも私達は見つめ、そばにいます。
ホテルに着きました。そのとき家内から「明日の最終便が確保できた」という知らせでした。何としてでも空港まで、フロントで相談しましたら確保できるということでした。
よく日タクシーの運転手さんにガソリンがないのになぜ・・・走れるのですか?しかも、長距離を
お客さんは運がいいですよ、この車LPガスですよ。良かった~。ありがとうございます。
運転手さん(すいがんタクシーの千葉様とお聞きしました。本当にありがとうございました。)は優しそうなご年配の人でしたが道中いろんな岩手の話をしてくれました。一時間くらいで飛行場に着きました。本当にありがとうございました。助かりました。家族にも会えます。運転手さんは笑顔で、また、岩手へも来てください。と手を振ってくれ、お別れをしました。とても優しい、皆様たちのおかげでこうして飛行場にたどり着くことが出来ました。
屋上に上がり、山々の景色を見ていましたところ物資を満載した飛行機が誘導されていました。被災者の皆様頑張ってください。皆が一生懸命に皆様のところへ、援助の手を届けようとしています。厳しい生活が続きますが。この苦境を絶対に乗り越えてください。頑張れ東北!!、頑張れ気仙沼!!
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by fujitakikaku | 2011-03-24 21:47 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
気仙沼は古くから栄えた港町でレトロでおしゃれな町並みが沢山残っていました。
この町並みを見るのも気仙沼に行く時の楽しみの一つでした。
朝早くに起きて散歩すると朝日に浮かぶ五十鈴神社あたりはもう最高でした。
この素晴らしい町並みは全壊してしまいました。

これからは気仙沼の皆様の英知で、これまでの歴史を大切にして、更に全国の皆様が
楽しみにこられる町並みを再構築されていくことを、切望しています。

私は絶対に気仙沼に行き続けます。

大好きな気仙沼ですから。
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by fujitakikaku | 2011-03-24 15:14 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
 この日の朝、夜明けと共に目が覚めました。
6時を少しまわっていました。昨晩はとても冷え込み、一面雪の世界になっていました。
本来であれば雪の中の気仙沼はとても行きかう連絡船も有り、とてもいい、情緒のあるものでした。
しかし、その無残な荒廃した町はあまりにも酷いものでした。
避難所は多くの人でひしめき、寒い中で過ごしておられます。
一日も早い、国としての援助が欲しいものです。
 私達の税金はどこにいっているのでしょうか・・・。あまりにも遅い対応に16年前も同じように思いました。
また、この状態です。時に村山首相だったと思いますが、神戸の被災地に来ましたがそのとき3000万円の費用を使ったといわれ、激励の言葉よりも毛布が欲しい、被災者は叫びました。言葉でなく本当の必要なものを納税者に渡してください。来なくてもいいですから。絵にはなりますが、そんな時ではないのです。
 今福島の原発が問題になっています。しかし、知らない間に、東京の水問題に変わりつつあります。このようなかわり方が恐ろしいのです。毎日被災地からの元気でいます、という映像はやがて消えて忘れられる、そうはならないで欲しいとせつに希望するものです。東京の水も、確かに大事です。でも、東北の、三陸の人たちを忘れていくような日本であれば、もう終わりです。大切にしましょう。生産地を・・・・・。頑張れ日本!!それは東北に向けての、三陸に向けての私の切なる声です。これからが大変なのです。
阪神淡路の場合も被害は甚大でしたが、津波はまた違う、致命的な被害をもたらします。会社があれば生活が出来ます。しかし、会社も何もかもなくなってしまっています。生活にはお金が必要です。阪神淡路大震災との大きな違いはほとんどの会社がなくなっているということです。
会社経営者、会社勤めの方はもう深刻だと思います。収入のめどがなくなります。義援金の有効な使い方は、地区単位、気仙沼であれば気仙沼市で使途を任せてもらうようにされたほうがいいと思います。
そして、どのように使ったかを明確にし、公表することです。
これが、支援者に対する御礼と思ってください。
東北に持ち込まれた義援金が何時、どこから、いくら来たか。
気仙沼には、どのように支給されてどのように使ったかを確実に残すことです。
そして公表することです。義援金には限りがありますが、心温まるものです。
薬の量も不足していると聞きます。体が一番心配ですから、身体が元気になるということは心が豊かになれるのが一番だと思います。
皆で助け合う時のお年寄りの笑顔は最高です。
病院に行っている暇もなくなるほどであるといいですよね。
本当の健康を考えてみてはどうでしょうか。
義捐金の使途は明確にし、大切にしたいです。
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by fujitakikaku | 2011-03-24 15:14 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)

フジタ企画社長藤田八束が、出張先等で出会った素敵な景色やお宿を、趣味の写真満載でご紹介。HPはhttp://www.fujitakikaku.co.jp/


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