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藤田八束の日記

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フジタ企画社長藤田八束が、出張先等で出会った素敵な景色やお宿を、趣味の写真満載でご紹介。HPはhttp://www.fujitakikaku.co.jp/

2011年 03月 24日 ( 7 )

家族への心配もありました。連絡がままならない状態でした。市役所へ行き交通網の復旧を確認しましたが、目途が立ちません。明日になれば仙台までのバスが出るかもしれませんということでしたが、これも空振りでした。問題は大阪の飛行機は山形空港しかないということでした。山形までどうして行くかでした。後は青森空港です。でも気仙沼からのアクセスがありません。水産課へ参り熊谷課長にお会いしましたら、「絶対に何とかしますから、お待ちください」と言っていただいたときは本当に嬉しかったです。そして、市役所を出て歩き始めましたら斉吉商店の斉藤社長ご夫妻にばったり、思わず抱き合い涙がこぼれ落ちました。「あの時社長に車で送ってもらわなかったら私は終わっていました。しかも歩きます。近いからといったら、社長にしかられました。」人の運命とは分からないものです。人に助けられそして生きているということを改めて知りました。その後の小川センター長に誘導を頂いた話もしました。「工場は全壊しましたが、絶対に復活して大阪に行きます。先生待っててください。」このお声に私は励まされました。「きっとですよ。待っていますから。」
そして、分かれたその後に、男山本店菅原社長にお会いしました。「社長無事でしたか、ご家族のみなさまは・・・」社員も皆様元気だとお聞きしました。「工場は山の中腹にあるということで今年の御酒もまもなく絞れます。」と言うことでした。良かったです。3月23日のテレビで元気な菅原社長の姿を拝見できました。私も被災前日銘酒「蒼天伝」を頂いていました。春を告げるとても美味しいお酒です。大好きなお酒です。
荒廃した瓦礫の町がうそのようでした。でもこれが厳しい現実です。ホテルに帰り暗い中でぼんやりしていました。そのとき阿部長商店の阿部社長から「先生どうされますか?良かったら報道の方に頼んでみますよ。水沢から通っている人がいますから、」ということでした。何とかして家族の下へと必死でしたので是非とお願いをしました。でも水沢まで行ってもその後がないし、・・・と思っておったところに「いわて花巻空港から大阪への飛行機が出る」という知らせが入ってきました。とにかく水沢までいければ近くはなるので必死にお願いしました。非常に幸運です。阿部社長は「了解いただけましたよ」もう嬉しくなりました。でも水沢から先は分からない状態です。とにかくということで荷物をつくり車に載せてもらうことにしました。報道の方は私がなぜ気仙沼に来ていたのかを聞かれました。水産関係の方と一緒に仕事をしています。詳細に説明しました。とてもいいお仕事ですね。皆と一緒にいい仕事が出来ていることに喜びが込み上げてきました。しかし、これからの不安をお話しました。報道は続けてください。これからが大変なのです。阪神淡路大震災で被災し、家も全壊して頑張った話をしました。私達と違うのは大きな会社が阪神にはありました。働く場所が復活しました。三陸、気仙沼は水産関係の会社が主体でそれも規模がさほど大きくありません。気仙沼を一つの会社として考えて再興することを考えるべきと思っています。それには皆様の援助、義援金が必要です。日本の台所を守るにも三陸は復活してもらわないといけないのです。延々と3時間を話をしました。(ここでお名前を出していいのか分かりませんので三名様の素晴らしい取材班の皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。またお会いできたらと思います。今後とも宜しくお願い申し上げます。)外は雪で真っ白でした。
車中からもホテルの予約も取っていただきました。ただ感謝の念で一杯でございます。そして、家内に電話が通じました。今水沢に向かっている。飛行機の席を予約して欲しい・・・「家内は良かったね。ありがとうございます。」声は震えていました。「お父さん予約取れないよ来週一杯満席」「そうか仕方ない一番早いところで押さえるだけおさえて」・・・・ホテルに着いたのは12時近くでした。途中阿部長さんの皆様に何か差し入れをとコンビにによってもらったりしましたが、ほとんどの商品がありませんでした。それでもダンボール一杯は確保できました。報道の方のほうが沢山です。皆様の優しい気持ちが通じていると思うと嬉しくてたまりません。頑張れ気仙沼!!
いつでも私達は見つめ、そばにいます。
ホテルに着きました。そのとき家内から「明日の最終便が確保できた」という知らせでした。何としてでも空港まで、フロントで相談しましたら確保できるということでした。
よく日タクシーの運転手さんにガソリンがないのになぜ・・・走れるのですか?しかも、長距離を
お客さんは運がいいですよ、この車LPガスですよ。良かった~。ありがとうございます。
運転手さん(すいがんタクシーの千葉様とお聞きしました。本当にありがとうございました。)は優しそうなご年配の人でしたが道中いろんな岩手の話をしてくれました。一時間くらいで飛行場に着きました。本当にありがとうございました。助かりました。家族にも会えます。運転手さんは笑顔で、また、岩手へも来てください。と手を振ってくれ、お別れをしました。とても優しい、皆様たちのおかげでこうして飛行場にたどり着くことが出来ました。
屋上に上がり、山々の景色を見ていましたところ物資を満載した飛行機が誘導されていました。被災者の皆様頑張ってください。皆が一生懸命に皆様のところへ、援助の手を届けようとしています。厳しい生活が続きますが。この苦境を絶対に乗り越えてください。頑張れ東北!!、頑張れ気仙沼!!
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by fujitakikaku | 2011-03-24 21:47 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
気仙沼は古くから栄えた港町でレトロでおしゃれな町並みが沢山残っていました。
この町並みを見るのも気仙沼に行く時の楽しみの一つでした。
朝早くに起きて散歩すると朝日に浮かぶ五十鈴神社あたりはもう最高でした。
この素晴らしい町並みは全壊してしまいました。

これからは気仙沼の皆様の英知で、これまでの歴史を大切にして、更に全国の皆様が
楽しみにこられる町並みを再構築されていくことを、切望しています。

私は絶対に気仙沼に行き続けます。

大好きな気仙沼ですから。
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by fujitakikaku | 2011-03-24 15:14 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
 この日の朝、夜明けと共に目が覚めました。
6時を少しまわっていました。昨晩はとても冷え込み、一面雪の世界になっていました。
本来であれば雪の中の気仙沼はとても行きかう連絡船も有り、とてもいい、情緒のあるものでした。
しかし、その無残な荒廃した町はあまりにも酷いものでした。
避難所は多くの人でひしめき、寒い中で過ごしておられます。
一日も早い、国としての援助が欲しいものです。
 私達の税金はどこにいっているのでしょうか・・・。あまりにも遅い対応に16年前も同じように思いました。
また、この状態です。時に村山首相だったと思いますが、神戸の被災地に来ましたがそのとき3000万円の費用を使ったといわれ、激励の言葉よりも毛布が欲しい、被災者は叫びました。言葉でなく本当の必要なものを納税者に渡してください。来なくてもいいですから。絵にはなりますが、そんな時ではないのです。
 今福島の原発が問題になっています。しかし、知らない間に、東京の水問題に変わりつつあります。このようなかわり方が恐ろしいのです。毎日被災地からの元気でいます、という映像はやがて消えて忘れられる、そうはならないで欲しいとせつに希望するものです。東京の水も、確かに大事です。でも、東北の、三陸の人たちを忘れていくような日本であれば、もう終わりです。大切にしましょう。生産地を・・・・・。頑張れ日本!!それは東北に向けての、三陸に向けての私の切なる声です。これからが大変なのです。
阪神淡路の場合も被害は甚大でしたが、津波はまた違う、致命的な被害をもたらします。会社があれば生活が出来ます。しかし、会社も何もかもなくなってしまっています。生活にはお金が必要です。阪神淡路大震災との大きな違いはほとんどの会社がなくなっているということです。
会社経営者、会社勤めの方はもう深刻だと思います。収入のめどがなくなります。義援金の有効な使い方は、地区単位、気仙沼であれば気仙沼市で使途を任せてもらうようにされたほうがいいと思います。
そして、どのように使ったかを明確にし、公表することです。
これが、支援者に対する御礼と思ってください。
東北に持ち込まれた義援金が何時、どこから、いくら来たか。
気仙沼には、どのように支給されてどのように使ったかを確実に残すことです。
そして公表することです。義援金には限りがありますが、心温まるものです。
薬の量も不足していると聞きます。体が一番心配ですから、身体が元気になるということは心が豊かになれるのが一番だと思います。
皆で助け合う時のお年寄りの笑顔は最高です。
病院に行っている暇もなくなるほどであるといいですよね。
本当の健康を考えてみてはどうでしょうか。
義捐金の使途は明確にし、大切にしたいです。
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by fujitakikaku | 2011-03-24 15:14 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
宿泊地、ホテル観洋は皆さん避難されていて、誰もいらっしゃいませんでした。避難場所である気仙沼小学校へ向かいました。山の上にある小学校からは気仙沼の荒廃した様子が一面に広がっていました。まだ、あっちこっちから煙が上がり、火が完全に消えていませんでした。対岸の山には飛び火したのか山火事が発生し、白い煙が山を覆っていました。小学校に着きましたが多くの人で学校は大変でした。ここで宿泊しようと思い手続きをしましたが、通された部屋は理科室でした。幾人かの人がいましたが、毛布一枚でした。何かないと過ごせないと思いボランティアの方にお願いしましたが毛布などないということでした。板の上で寝ることになります。夜は冷え込みます、このままだと夜を過ごせない。どうしたらいいものかここでは過ごせない。ふと見るとパトカーが一台ありました。宮城県警とあったのでひょっとして仙台まで乗せてもらえないかと思いましたら、気仙沼の警察の車でした。助けてもらえるものなら何でも・・・次に仙台ナンバーのトラックが「仙台へ帰りますか」尋ねましたが、当然断られました。途方にくれていました。どうしたらいいだろう。歩けるところまで歩こうかと思いました。そのとき一台の乗用車が私の前に止まりました。降りられる人の中にホテル観洋の女将さんがいらっしゃいました。確かに女将さんだ、「女将さん!!」「先生!!無事多だったんですね。よかった!!」「お客様もこちらにいらっしゃいますから」といっていただき、市民センターの方へ参りました。沢山の人が避難していましたが、寝るだけのスペースは確保されましたし、食べ物にやっとありつけました。命拾いを致しました。女将さん本当にありがとうございました。おにぎりがこんなに美味しいとは・・・。ここで一晩過ごしましたが、幸運なことに家のある人は帰ってもいいという連絡があり、私達はホテル観洋に帰ることにしました。ホテルは案の定無傷でした。床の大理石は全くヒビも入っていない状態でしたし、シャンデリアも綺麗そのものでした。このホテルがいかに頑丈に出来ているのかがわかりました。ここで帰る機会を待つことにさせて頂きました。市役所に行けば一番情報が入るということなので市役所にいってみました。
ホテルを出て、湾岸を歩くとそこには悲惨な情景が広がりました。涙が止めどもなく流れ、神様は本当にどこにいってしまったのだろうか。怒りと悲しみが込み上げてきました。
そのとき一台の自衛隊の車がさしかかりました。「すいません、神戸から来ているのですが、被災しました。市役所まで乗せていっていただけませんか。」「それは大変なめにお会いされました。乗ってください。市役所へ参りますから。」実に心よく笑顔で引き受けていただき乗せて行っていただきました。やっぱりそうだ、自衛隊の方は神戸の時もそうでした。小さいことから大きなことまでいつも私達のそばで支援していただけるのだとここでも確信しました。道中、阪神淡路大震災の時にいち早く来ていただいて、お風呂を用意していただいたこと、トイレを作っていただいたことをお話しました。是非お風呂を早く用意して欲しいお願いしました。そうできるように頑張ってみますといっていましたが、その後どうなったでしょうか。皆さんの切なる声が必要と思います。気仙沼の人たちがもしお風呂に早く入りたいと思うなら自衛隊の方へ皆でお願いしてください。すぐに用意できると思います。水はローリーで運びます。室根山だって自衛隊の人に取ったらすぐ近くですから。燃料は自衛隊ですからあります。ご心配なく。皆さんのそうして欲しいという声が絶対に必要です。子供達でまとまり、家(うち)には赤ちゃんがいます。お母さんがいます。お年寄りがいます。だからお風呂を用意して欲しいのです。そうお願いしてください。きっと実現できます。頑張って声を大きくしてお願いしてみてください。
お風呂については女性の方が特に大変だと思います。北海道で鮭のシーズンになるとサケバイといって多くの若者が全国からアルバイトに来ます。この時町は大歓迎をしますが、そのときのお風呂がいいものです。
部屋をビニールシートで囲みます。床もビニールシートをしきます。ちょっとすべるのでご注意、そこの中央に魚の輸送に使う、鮮度保持用のスカイタンクを入れるだけ入れます。外でお湯を沸かし、入れていきます。これで大変な盛り上がりようです。私も皆さんと幾度となくご一緒しましたが楽しいものです。女性の方は心配かもしれませんが、みんなで守ってあげれればいいと思います。鮮度保持タンクはすぐに調達できると思います。これは壊れにくいのでいくつも残っていると思います。

市役所は電話も通じず沢山の人でごった返していました。神戸の時は公衆電話が通じましたが、気仙沼は全部ダウンで外との交信は出来ないままでした。私もこれで4日目家族との連絡が取れていません。さぞかし、心配しているだろうと思うと涙が込み上げてきました。何とか連絡の使用はないのか・・・。でもそのすべはありませんでした。

そして、翌日七十七銀行の方が仙台に帰るという情報を得ました。ひょっとして電話が仙台からなら通じるかもしれない。そう思い「もし電話できましたら、伝えていただけないでしょうか。」ということで短い文章で無事であることを伝えていただけるようにお願いしまた。「分かりました連絡きっとしますから」一日も早く無事であることを伝えなければと一心でしたが、本当にご親切に言っていただけましたこの言葉忘れることが出来ないものになりました。(七十七銀行の荒様、入江様のご親切さに感謝申し上げます。)
次の、そして次の日でした阿部長商店大船渡食品の斉藤様がauからかかるかもしれない。今日かかったところがあったからということで我が家へかけていただきました。幾度となくしてもらいました。そのときでした「出られましよ、」「お母さん生きているよ」私の第一声でした。七十七銀行の荒様から電話を頂いていて、安心していたといってくれました。荒様へは本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。家内も「無事で、元気でいらっしゃいました」と聞いたときは本当に嬉しかったといってくれました。荒様、入江様に対し感謝の気持ちで一杯です。
斉藤様にも貴重なお電話を心おきなく使っていただきました。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。こうしていろんな人に支えていただきました。生還できたのも皆様のおかげと感謝申し上げます。ありがとうございました。
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by fujitakikaku | 2011-03-24 14:41 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
次の日、このままだと食べ物もないし、ということになりました。今日は絶対に食糧が届きます。そのように連絡がありました。ということですが、それもこれだけの大きな被災です。周ってくるめどがありません。被災者の健康状態も有ります。救助が来てもこれだけの人数(約150人)を救援するのは無理です。元気ある人だけでもここを出ましょうということになりました。食糧が少なくても人数が少なければそのほうがいいし、救助の時間も節約できるということでここを出ることにしました。でも、一歩外に出ましたらそれは酷いものでした。泥水の中をジャブジャブと、冷たいし、凍えそうでした。でもみんな一生懸命に歩きました。途中で避難した人の救助をしている救援のヘリコプターに逢いました。やっと来てくれたんだ。「頼むよ。!!」祈る気持ちで手を振りました。
こんな時一番の頼りは自衛隊の皆様です。そして、消防隊、そして警察の方です。本当に頼りにさせていただきます。私達に出来ないことを適切に、しかも迅速にしていただけます。災害時の救いの神ですよ。困ったことがあったら絶対に声をかけて頼んでみてください。親身になって対応していただけますから。このブログを見ておられる方は絶対に覚えておいてください。日本の自衛隊はすごい力を持っています。優しいですし。最高ですよ。阪神淡路大震災の時お風呂を沸かしてくださいと頼み、そうしてくれたのも自衛隊の皆さんだったのですよ。そのときの被災者の顔は新聞で全国に届けられました。女性の方、赤ちゃん、お年寄りのかたには一日も早いお風呂が必要です。頼んでみてください。トイレもそうでした。全てが水洗でしたから瞬く間に使えなくなり、そのとき校庭に仮設のトイレを作ってくれました。女性の方はとても助かりました。それもすぐに使えるトイレでした。
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私が泊まっていましたホテル、ホテル観洋は無事でした。がっちりとしたこのホテルは本当に無傷でした。世界一頑丈で安全なホテルだったことをここで知ることになりました。でも皆様避難されているということで中には入ることが出来ず。指定の避難場所、気仙沼小学校へと向かいました。
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by fujitakikaku | 2011-03-24 11:40 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
いつ燃え尽きるともしれない、火の手は海水面をさまよい、そして焼けた鮪船はその支えをなくし海水面に流されていました。2日目になりましたが、救助の気配は全くありません。避難所になっていたので責任者の方はいらっしゃったのですが、交信も出来ず手が打てないといっていました。阪神の大震災の時は数時間で救援が来てくれましたが・・・・食料もなく2日目でした。でもお腹がすいているなどとは考えることすら出来ませんでした。恐怖だけが身体の中を走り続けていました。横にいる老夫婦は私達はもう帰るところがありません。目の前で家が流されていました。といっておられました。このままならあの時流されていた方が良かったかもしれない。寂しそうなご様子でした。絶対に生き延びた人があの時死んでいたほうが良かった。そんなことにならないように国、そして日本の国民は支援しなければならないと思います。この言葉は阪神淡路大震災の時も同じ言葉が問題視されました。16年前です。でも、今元気になれた被災者は生きていることを本当に幸福に感じています。みんなの力が、仲間としての援助が長い復興には必要です。「おじいちゃん、おばあちゃん大丈夫ですよ。私も16年前に阪神淡路の大震災にあい、家もなくしましたが家族は生きれました。今子供達は家族を持ち、おかげさまで幸福に生活が出来ています。あの時はつらかったけど全国の方からの励ましと義援金はとてもありがたがったです。この国の素晴らしさは人を思いやる優しさです。国も絶対に皆様を守ります。だから安心してください。」そのように話かけると大きな涙を流され私の手を握り、「あなたは阪神淡路大震災にあわれたのですね。ありがとう」といっていただけました。日本人は本当に素晴らしい・・・これからもそうあり続けて欲しいと思いました。これからの復旧の援助をしっかりとしていかなければなりません。やがて新聞報道も来なくなります。それからが本当の戦いになります。あの時一ヶ月後に東京で地下鉄サリン事件が起こり、新聞、報道、国もそちらに向かいました。そのことを私達は決して忘れません。全てが東京が中心でありすぎます。今、原発の事故で東京都の水が問題視されています。そちらに全てが向かないように被災者の皆様は団結して声を大きくして自分のして欲しいことを地域単位で纏め上げて要望されることが重要です。代議士の人たちは特にそうです。何のための代議士ですか。私が気仙沼にいた間でも代議士の誰も来ていなかったのが寂しい限りです。東京の問題が大げさに報道されます。駄目です。今大変なのは三陸地方、東北なのです。なんだか阪神淡路大震災、その後の地下鉄サリン事件の展開に変っていくことが心配です。

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by fujitakikaku | 2011-03-24 11:18 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(0)
朝日が差し込んできました。その目の前にある光景はまさに地獄そのものでした。こんな世界が現実にあることを今までに考えたこともありませんでした。海面にはまだ燃え盛る残骸が右へ、そして左へ・・・地獄の海です。焼けた鮪船が幽霊船のようになっていました。太平洋向かうあの雄姿が・・・涙が止めどもなく流れ始めました。神様はどうしたのだろうか・・・
船の中には誰もいなかっただろうか・・・悲惨すぎます。
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by fujitakikaku | 2011-03-24 10:38 | 東北大震災・気仙沼 | Trackback | Comments(1)

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