終戦記念日に思うこと・・・・平和を願う国民が何故戦争をするのか、日本国憲法は改正論議が問われる
戦争は悲劇だ…誰もがそれを知っている、なのに戦争は絶えない・・・何故なのか。日本の歴史を振り返ってみる。太平洋戦争へ何故突入していったのか。この戦争が悲劇の象徴して語られる。確かにそれも確かなことではある。しかし、戦国の世にはこれは小さな日本の中でも戦争(戦い)は有った。その理由は・・・戦いの無い平和な国を作る。そのために戦うのだという。そして、豊臣秀吉がこの日本の統一に成功した。しかし、その後は朝鮮征伐だと言って兵をあげた。戦いは続く。そして、この国は間違っている。外国からの攻めに対応できる強い国づくりが必要だとして明治維新は悲惨な戦いであった。・・・・・歴史は戦いの歴史である。人が人を殺し合う、悲惨な戦いの歴史の上に成り立っている。そこは命の存続がある。子孫を残し、繁栄させていく、そのためは戦いは場合によっては選択肢の一つのようである。
しかし現在は世界は国連にって話し合いもでき、貧しい国も貧困から脱出できる技術が出来ている。例えば北朝鮮は今飢えに喘いでいるが指導者が政治を変えれば、指導者が世の中の流れに沿うならば簡単に飢えからの脱出はでき、韓国くらいの経済力を持った国にはなると思います。
お互いの国の子供、若者たちの力が平和の形を作って行くと思います。海外の人たちとコミニュケーションのとれる指導者、若者たちをどのようにして育てていくかは世界平和への重要なテーマかもしれません。貧しさ、子孫を残せない。そこに戦争の種があるようも思えます。
夏に咲くノーゼンカズラは美しい、強い日射しの中で美しく咲いている。オ二ユリの花も鮮やかに咲いている。夏の風物詩である。