藤田八束の幸福論@老人の話は聞いて損はしないもの、その②・・・経験は年の数だけある、鉄道写真
私が残留孤児にならなかったもっと大切な理由が有ります。満州で終戦となり、日本人の生活は一変しました。着の身着のままで満州を脱出、やっとの思いで日本へ帰り着いたと聞いています。その間中国人が日本の子供を預かると言って沢山の子供が預けられたという。そんな中で中国人が今帰ってはだめだと言って時間稼ぎをしてくれたと言う。その間面倒を見てくれたそうだ。中国の人は命の恩人だと生前父は言っていた。父は満州鉄道で勤め宮司としても神事に携わっていたようだ。その当時の写真もある。大勢の中で中央で白装束に神主の出で立ち。実にかっこいい。
その父が言っていた、人に何かできるということは幸せなことだ。なかなかそうは出来ないものだ。出来る時に人のために出来ることはしてあげるべきだ。と言っていた。中国の人たちに自分が出来ることを一生懸命にやり、喜んでもらえていたようだ。だから窮地の私達を中国の人たちが守ってくれたと思います。父はこんな素晴らしい生き方を教えてくれました。人にできるということは日頃から力をつけておかないといけない。勉強もしておくのも当然だ、ある程度生活の余裕もないといけない。その考えは自分が一人前以上でないとできないことで自分の為にもなっていると思います。
これも目標の一つになると思います。そんなことが出来る人間になるという目標です。より具体的になるほど到達の道が描かれてくると思います。
熊本電鉄の写真です。「かえるくん」てすがこの姿もみられなくなってしまいました。菜の花の咲いた鉄道を走っている写真です。懐かしく思い出にしていました。