小保方晴子氏再現性試験の意義、STAP細胞実験ノート必要性と意義、小保方晴子氏とSTAP細胞の運命
小保方晴子ユニットと再現性試験の意義、STAP細胞における実験ノートの必要性と意義、小保方晴子博士とSTAP細胞の運命
・論文の書き方に問題がある。STAP細胞の存在は論外
・STAP細胞には第三者の再現性がない
この二つの点が問題点の大きいところだと思います。
例えばの例を上げて考え方を説明します。聞いてください。下記の如くとなります。
<例①>
ショーウインドウに素敵なセーターがありました。とってもこれを真似しても作れるとは思えないほどの手の込んだ、でもとっても素敵なセーターです。こんなセーターを手編み出来たら、そしてそれを素敵な人に、愛する人にプレゼント出来たらとある若き女性が考えました。「でも駄目だは」「私にはその方法も何にも分からないは」良く見るとこのセーターの作り方を書いたパンフレットが用意されていました。「興味のある方はお持ちください。」
更に手にしてみると材料も編む道具も手順もすべて書いてありました。ただし、文章だけです。でも女性は直ぐに必要なものを購入し編むことにしました。ところが全然うまくいきませんでした。友達になぜうまく編めないのか相談すると「こんなに難しいもの編めるはずないよ。」「あんただまされたのよ。」そういわれて彼女はがっかり、そして、「このうそつき野郎」と叫びました。
同じ思いで行動した女性がいました。この女性も同じように作れませんでした。彼女はこのパンフレットを作成した会社に連絡しました。「どうしても編みたい」と言いました。会社はこのパンフレットを作った人に相談しました。作成者は感動しました。「わざわざ来てくれるの。」そして、編み方を教えていただき、見事なセーターが出来上がりました。「やっぱり編み方にコツがあるんですね。」「勉強になりました。」彼女はその冬のクリスマスプレゼントに大好きな彼にセーターのプレゼントが出来ました。
この二人は実在すると思いますか。研究もそんなものなんです。与えられたチャンスは皆平等です。チャンスを逃す人と、掴む人と日頃からの人間性が武器になると私は考えています。
この例間違っているでしょうか。
今回の問題のもう一つは論文の書き方にはありません。STAP細胞の存在です。セーターが出来るかということです。私は絶対にできていると確信しています。
<鹿児島の市内電車を引き続きご紹介します。>
可愛い沢山の花に囲まれて電車も嬉しそうです。
どんな素晴らしい方たちがお花のお世話をしておられるのでしょうか。最高に素敵だと思います。