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藤田八束の日記

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フジタ企画社長藤田八束が、出張先等で出会った素敵な景色やお宿を、趣味の写真満載でご紹介。HPはhttp://www.fujitakikaku.co.jp/

がれきの撤去と現実を語る遺構、気仙沼(7)

気仙沼の子供たちの笑顔が忘れられません。大好きです。
この写真は2008年3月11日の写真です。大川での子供さんとお母さん、おばあちゃんの写真です。ここも崩壊しました。
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生活の糧を作ることです。この糧の崩壊が生活の基盤をなくし、将来が見えなくなるのです。
子供に教育ができなくなったら、この町は終わると思います。希望の灯りは子供たちに教育をさせる。このことを決して忘れてはならないということです。すべてを犠牲にしてもこれは死守すべきですよ。

被災地ではがれきの撤去が進んでいます。がれきが整理され、利用できる平地に整備することから復旧は始まります。しかし、この時にはすでに復興計画書はできていて、町の全員がその平地の上に作られる町を想定して、それに向かっていくときに希望という文字が映し出されるもの思います。
大震災の大きさは尋常ではなく、多くの犠牲者が出ました。こうした犠牲者を再び出さないようにということもあり、なんだかの形で遺構として残したいという考えがあると思います。この点は大いに議論されるべきです。
私は気仙沼で大震災に遭ったあの時からそのことを考えていました。多くの人が何かを遺構として残すべきだと言います。当初建物の上に乗っかった漁船をそのまま残してはという話、南三陸町の防災対策庁舎の話、工場に突き刺さった大型漁船・・・。私はその話を聞きながら、できたら残してほしくない。その思いでいっぱいでした。避難所にて涙が出ました。その当事者というものは時間がたつとそのことを早く忘れたいものです。お墓がそうです。最愛の人をなくしてもその人に会うにはお墓に参ります。決して庭先にはありません。
人は生きている喜びを感じなければならないと思います。時に過去を振り返り、ここで平和に暮らせている喜びに感謝することが大切だと思います。だからお盆があり、皆が集まり、お祀りをします。災害は突然やってきて人の命を奪います。このことは信じられない出来事です。人生の中で一度あるか、ないかの経験です。
遺構は人目のつかないところ、意識していかなければいけないところに設置すべきです。仮にこの街に自分の目の前で子供が流され、亡くなったとします。この人は毎日忘れないで生活をさせるのですか。私はとても耐えられません。これが現実としてここにいるものは生きえたものとして犠牲者の方の分も幸福になっていただきたいと思います。
最も大切なことは遺構を残すことにたくさんのお金を使わないこと。そのお金は今生きている人たちのために、子供たちの学費、教育のために使われるべきだと思います。一部の学者の研究材料、素晴らしい遺構の建設費に決して使わないでほしいと思います。亡くなった人はきっと残してきたここにいる皆様のことを心配し、頑張ってほしいと願っておられると思います。
限りある支援金、義援金、復興資金は大切に使い、近い将来税金として、返済資金として返す。次に同じ災害が起こったときはすぐにこのお金が使えるよに計画は立てられるべきです。
震災は昔より起こり、それを恨むことなく人々はその苦難の中、復興を遂げて今日に至っています。震災の事実は、その後の対応は資料としていくらでも残すことができます。私は遺構は必要ではないと思います。私は西宮市にいますが、16年前の阪神淡路大震災の時も遺構を残さずに良かったと今思っています。
by fujitakikaku | 2011-12-15 21:43 | 気仙沼、三陸の復旧と復興 | Trackback | Comments(0)

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