震災からの復興、大川小学校の悲劇・・・津波災害の教訓、これからの人生の選択
震災からの復興、大川小学校の悲劇・・・津波災害の教訓、これからの人生の選択
震災が起こるとその悲惨さを忘れないように、風化させないようにと関係者は色々と考え行動を起こすが日本にはその悲惨さと同じ、それ以上の悲惨なものが数えきれないほどあることも事実である。阪神淡路大震災、東日本大震災を経験し考えることは不幸にも命を落とした人にはそのご冥福を祈り、生きた人たちはこれからの苦難を案ずるものです。その気持ちはだれもが同じです。しかし、どうでしょうか、復興するにはどうしても乗り越えなければならない試練があります。亡くなった人のことを憐れんではいけないと思います。むしろ生き延びた人の方が大変です。苦難の連続です。だから亡くなった人はそのことを良く知っていると思います。みんな大丈夫だろうか?心配しているのは亡くなった人たちだと思います。「千の風になって」という歌曲がありますよね。それだと思います。
だから大川小学校も学校を残すのではなく、元気な明るい公園を作り、沢山の花を、桜を咲かせて3:11を迎えるようにした方が良いと思います。その時の子供たちは大人になりました。成長していきます。これからもいろんなことがありますが亡くなった友たちの分も強く生き抜き、友たちに感謝することが出来る人生を送れたら亡くなった友達もきっと喜んでくれると思います。起こった悲劇を風化させない努力をすればするほど人間はわすれようとするものです。美しい花が咲き素晴らしい大川の街が見られるならばその当時を思いしのぶ人はいつまでも絶えないと思います。東北に沢山の負の遺構を残していますが私は逆だと思います。西日本を見て下さい。平家の落ち武者が落人となった歴史があっちこっちにありますが、その悲惨さは今や郷土の祭りとなりその当時の平家の人たちに感謝しているというところは沢山あります。平家の落人の悲惨さは誰が残そうというのではなく、それでも郷土のなかに残っています。特攻隊として南の海に散って行った若者たちの最後は誰もが決して忘れません。それはなくなっていく人たちの伝えたいことが残されているからです。なくなる自分より、残される親のことを案じて命をささげた若者たちの意思が伝えられているからだと思います。春には美しい桜の花が知覧の町全体を覆いつくします。そんな町には毎年多くの人が訪れます。
朝日新聞2月12日朝刊より・・・