藤田八束の長崎の旅:③軍艦島から学ぶエネルギー確保とその犠牲、原発廃炉を考える
軍艦島上陸は案外難しいそうです。上陸施設が不安定で、危険性があり、上陸が出来ないことが多々あるということでした。この日は曇りで少し風も強かったのですが、上陸の許可が下りほっとしたところです。昨日は上陸出来なかったとガイドさんがおっしゃっていました。
学校だったそうです。近代的な建物で鉄筋コンクリート6階建てだそうです。最高の教育を受けることが出来たそうです。ここで勉強した子供たちがやがて世界で活躍することになります。
管理職が住んでいたマンションだそうです。3利子の以上の広い部屋があったそうです。勿論お風呂は月です。労働者は共同浴場です。しかし、ただでこのころから毎日お風呂にはいれたそうです。
ここから炭鉱負の人達は地下深くエレベーターで降りて行ったそうです。まっすぐ下に降り、そこから横へと行動が進んでいったそうです。岩いる立坑四季なんだそうです。北海道は炭層が地上に露出していましたから横に掘っていったと聞いています。
有明海の地底に眠る石炭はとっても良質だったようです。
ここから船で毎日運んできた水を入れたのだそうです。水は最も重要なものだったようです。
病院、幼稚園、スーパー、郵便局など沢山の施設がこの小さな島に所狭しとあり、夏のお祭りにはそれは大いに盛り上がったそうです。
栄華を極めた石炭産業も国がエネルギー政策を石油に切り替えると衰退し、この炭鉱も閉山となりました。
そして、人が去り、今は廃坑が残ります。
日本の繁栄の陰で多くの犠牲者を出しながら今日の日本経済があることをしっかりと知ることが出来ました。
福島の人達も日本の皆さんも是非この島の歴史を勉強するといいと思います。
もう必要でなくなった島には人が居ないということ。そこから旅立った子供たちはこの日本を支える優秀な人達に成長しているという事実です。