藤田八束の気仙沼への応援:水産業の復活が気仙沼の復興の最大ポイント、世界に通ずる気仙沼ブランド
気仙沼で助けられた私の思いは一つ、気仙沼の復興です。
気仙沼の復興は水産業の復興にあります。4年前からその思いは同じです。
誰が何と言おうとも水産企業を支援し、団地を整備し、流通を確立して、復興へ、人の生活手段はその次でもいい。このままだと人が居なくなる。有能な人材がこの町から出ていく、その人はもう二度と帰ってこない。急いでほしい、最優先で頑張れ
・・・・そう言い続けてきました。生活の基盤は家でも何でもない。生活の糧が必要なんです。
そして、三陸の復興は気仙沼が示せ、気仙沼が出来なかったらどこも出来ないとも。・・・・・そう言い続けてきました。この声は届いていないのだろうか。
震災の跡が生々しい昨年の9月の写真です。神戸淡路大震災を経験した私には復興の経験があります。しかし、今の気仙沼にはその姿が見えません。3年たっても復興の姿が全く見れませんでした。
一筋の光を見ました。神様はまだいます。神様が町を去って行かないうちに復興しなければならないと思います。先人たちの意志を継がないといけません。
撤去を待つ線路、そうではなくその前になぜこの鉄道が出来たのか、そして、復興の意味を考えたら何をさておいても鉄道でしょう。大切な鉄道の復興ですよ。
タンポポの綿毛はどこかへ飛んで行こうとしていました。新天地を求めようとしているのでしょうか。私はきっと近くでみんなを見つめてくれると思います。
私が責任者なら、復興の指導者なら絶対に鉄道をはずすなんかは絶対に考えません。絶対にさせません。なおさら一層復興には必要です。このことは言い続けてきたつもりです。この風景は復興を望まないその姿のようにも見えるほど悔しい風景です。情景です。仙台からの一貫した一本の鉄道を一日も早く復興させろと言い続けてきました。バスなんかを走らせてどうしょうというのでしょうか。ただテレビ報道がよろこぶだけではないですか。学識経験者が研究の材料として喜ぶだけです。復興の手段になるはずがないでしょう。復興とは震災前よりも良くなることですよ。チャンスだと考えることです。