藤田八束の軍艦島を訪ねて:東日本大震災から4年、今考えること・・・そして明日に向って、頑張れ気仙沼!
海に浮かぶ軍艦島の廃墟の後、軍艦島は日本繁栄を知る素晴らしい遺産です。多くの朝鮮半島からの労働者もここで働ける喜びを語っていたと言います。
(海に浮かぶ軍艦島、長崎にて・・・・・)
大きな震災に遭ったときいろんなことを考え夫々の人達が夫々の人生を歩みます。その先にあるものは・・・。
阪神淡路大震災と気仙沼での東日本大震災の二度の経験は私の人生の中でも生き方を考えさせられた大きな出来事となりました。人は大きな出来事に遭遇した時大きく二つのタイプに分けられると思います。被害の大きさとは全く関係あれません。どんなに小さくても、大参事であっても、「こんな不幸なことになってしまった。」「生きる望みが亡くなった。」・・・・こう考えてふさぎ込んでしまう人がいます。しかしこの豊かな日本、誰かが手を差し伸べてくれるものです。それが国で有ったり、国民であったり。
他の一つは、大変なことになった。頑張らないと、自分はこれからどう生きなければならないのか、考えた末行動に移す。まず自分の人生を考えて行動に移る人。
大きくはそうだと思います。
しかし、本当の幸せはどっちなのでしょうか。とっても考えさせられます。
子供たちは自分の親を見ています。そして、懸命に生きるすべを見て学びます。子供のために何としてでも自力で生き抜いてみせる。こういう人生が子供の将来にも、とってもいい結果を出すような気がします。
被災地でも良く聞くようになりました。「これ以上国民に迷惑をかけられない。」「借りたお金を一日も早く返し、」「税金を納めるように復興しないと。」こんな声の社長さんにはとことん協力し、支援したいと思います。
熊本に行った時に熊本日日新聞にこんな記事がありました。「どのようにしたら国からの義援金・支援金がもらえるのか、もらい続けられるのか。そのやり方を学びたい。」というのです。その目的で水俣を訪問したと言っていました。とんでもない考えです。国民として情けない限りです。一度でいいから長崎県の軍艦島に行ってほしいものです。北海道の夕張市に行ってほしいものです。当時の生きざまを学ぶべきです。
東日本大震災と福島は分けて考えてほしいと思います。原発が出来る前からの歴史をしっかりと知りたいものです。原発がどのようにして建設されたのか。
そんな国民は日本にはいらないと思います。真の復興は苦難を乗り越えた人たちの輝く未来です。自ら勝ちえた克服こそが子供の幸せにつながるような気がします。私たちの西宮市は今では全国でも最も住みたい町になりました。見事な復興が私たちの誇りです。国の支援は全く期待しませんでした。