水俣病被害者への救済、日本の公害史を知る、安倍内閣頑張れ野党は内閣の仕事をサポートすべき
<公害病の歴史>
昨日のニュース報道、本日の新聞で水俣病患者に対する補償問題が、患者認定方法に新たな基準が採用されたと報道されていました。水俣病と呼ばれてすでに50年以上も経過しています。悲惨な犠牲の上にこの日本があることを私はいつもしっかりと肝に銘じています。私の故郷は熊本です。水俣も熊本県です。同じ有明海の魚介類を食べていたと思います。潮の流れ、魚の特性が、私には被害を与え無かったと思っています。でもこの事件は決して忘れず、講演会でも食の安全性に関係する講演の時は出来るだけ話をすることにしています。先日も新入社員教育の中で話をしました。しかし、この話を知らない新入社員がほとんどでした。学校教育の中でも話にでないといっていました。教育の後で新入社員はとてもいい話をしていただきましたと言ってくれました。
中国の公害問題が大きな社会問題とされていますが、「四日市ぜんそく」、「尼崎公害訴訟問題」など日本においては多くの犠牲者をだしています。東京都ではPM2.5問題です。そして、それを乗り越えて今日かあります。そのことを子供達にどのように伝え、未来へと向かわせるかは本当に重要だと思います。学校教育の中でも事実をしっかりと教えておく必要性があると私は思っています。
教育を受け、その事実を知り、どのように考えて未来に向かうのか、それは日本人にとってとても重要だと思います。朝日新聞の4月17日の朝刊に詳しく裁判の内容が紹介されていました。水俣病と呼ばれたのは私が11歳のころの話です。その後粉ミルクヒ素混入事件、PCB混入ライス油食中毒事件が発生します。どれも悲しい事件でもあります。絶対に知っておかなければなりません。
こうした事件、事故が日本が世界に誇る技術革新をなしえた礎にもなっていると思います。日本人は問題に正面から向かい、それを解決して乗り越えて進んでいきます。このDNAは正確に伝えられていくと思っています。
下北半島でも新エネルギーの開発がすすめられていました。
綺麗な夕日は美しい日本を象徴しています。日本はいろんな苦難に直面しますが、それを現実として受け止め、それを乗り越えてきました。先人たちの素晴らしさを学ばなければなりません。