気仙沼復興計画提案、気仙沼菅原市長へお願い、大震災から2年頑張れ気仙沼、小野寺大臣に直訴
あの大震災・大津波から2年、気仙沼を訪問しました。復興とは・・・。
復興とは今ここに生きている人が、生きていてよかった。そんな生活を再構築することだと思います。そして、亡くなられた人達の尊い命を忘れずに、子孫にこの素晴らしい気仙沼を伝えていくことだと思います。素晴らしい気仙沼を創り上げることにあります。
生きる人の英知が明日の希望に満ちた気仙沼を素晴らしい幸福な未来へと連れて行くことにあります。そのためには何もしないで待っていたのではそれは無理です。絶対に幸福な、希望ある気仙沼は永久に来ません。懸命な努力・研鑽が必要であることは当然です。
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気仙沼の今、JR気仙沼駅につきました。大津波は気仙沼全部を破壊しませんでした。幸にもこの気仙沼駅は難を逃れ、今は一ノ関からのターミナル駅となっています。でも、ここからの電車はありません。
(ターミナル駅になったとしたらそれも店のお告げとして、考えましょうよ。良いかもしれません。ターミナル駅気仙沼)
気仙沼に到着したのはずいぶんと遅くになりました。寒さが本当に厳しく感じました。お宿はいつもの「気仙沼プラザホテル」ここの温泉に浸かりました。冷え切った身体が最高の気分へと変わっていきました。
気仙沼駅は動いています。ターミナル駅として。
こんなにかわいいバスが待っていました。破壊された鉄道の跡を走っているそうです。
気仙沼の美しい自然ははっきりと残っているように思います。朝日、夕日に映える山、海はとても綺麗に私を迎えてくれました。「ありがとう」(気仙沼プラザホテルからの景観です。とっても綺麗です。今いかれても何ら不自由もありません。むしろ快適でございます。食事も素晴らしいですよ。美人の湯・癒しの温泉も最高です。是非いらしてください。)
五十鈴神社は気仙沼の守り神様です。漁師さんたちの漁の安全を守っているそうです。強い岩盤の上にあるこの神社は破壊されませんでした。ほんの少し、下の方が崩れたくらいでした。神様はこの気仙沼を懸命に守ろうとされたと思います。
気仙沼のに美しい大島があります。湾の向こうに輝く姿はとても綺麗です。
家屋の破壊は凄まじいのですが、そこにのこされた自然は意外としっかりと残っていました。気仙沼の財産、美しいこの海と山、神様はしっかりとお守りいただいたと私は思っています。
残された素晴らしいものを更に生かし、失われた素晴らしいものを再生し、創造し、このまち気仙沼を復興したいものです。
気仙沼に対する私の思いは更にエスカレートしていきます。現実味がある「まちずくり」ではなくてはなりません。そして、気仙沼市民が「そんな街にできたら素敵だ、」「だから頑張ろう、」そう決意できる計画ではならないと思います。
国から、そして義援金から支給される資金・予算は限られています。その後は皆が経済活動で生産する税収からこの町を蘇らせなければなりません。
震災前の状況は町の財政も最悪でした。企業も厳しい状況でした。そこで、思い切った復興計画が必要になります。同じことを考えていたのでは負債だけが大きくのしかかります。今、被災したことは現実として受け止め、これからどうするのかを考えると、意外と前が見えてきます。被災したことでこの町は真っ白なキャンパスになりました。復興資金も豊富です。さあ、これを未来の気仙沼都市計画に利用していくことが出来るチャンスだと考えてみませんか。辛いけど残された私たちは前に向うべきです。そうすることでこの町は素敵な街になると思います。限りある資金です。一円たりとも無駄にしてはいけません。
国は何々に使うのにいくら・・・。と提案をしてきます。これでは復興後に大きな借金が残ります。そうではなく、まちづくり計画実現を段階的に進め、これだけの資金、予算が必要。この部分は気仙沼で負担するがこの部分は支援して欲しい。そんな計画が必要だと思います。なぜなら国にはお金はありますが、どうしたらいいのか残念ながら詳細が分かりません。
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復興工事は残念ながら殆ど進んでいません。ぽっりぼっりと何かが行われているにすぎません。これから迅速な復旧工事が進むことを期待したいものです。計画に基づいた復旧工事であってほしいものです。
水産の町を作るなら、加工場の発展は欠かせません。集約し、そこにインフラを整備してください。コスト安く、合理的に、安全安心を添えた商品造りは必須条件です。株式会社気仙沼を作り、各会社は事業部として懸命に営業もする。すばらしい水産都市が絶対にできます。そのチャンスですよ。
それは当然です。気仙沼の住民は心を一つ、思いを一つにして国にお願いをすることです。
小野寺大臣の存在はとても大きいと思います。そして、小野寺大臣も気仙沼の皆様の力になりたいと思っていると思います。その具体的計画書を提出し、お願いしなければなりません。学識経験者の多くは気仙沼を知りません。論文作成の、論説のための計画書はいらないということです。真の復興はみんながどんな街にしたいか、そんなことではないでしょうか。今、一段と魅力ある「まちづくり」のチャンスが来たと思って欲しいのです。
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鹿児島と熊本をつなぐ鉄道として、薩摩おれんじ鉄道が有ります。
電車の中では楽しい会話が弾んでいました。とても良い光景を見せていただきました。
素晴らしい夕日に逢うことができました。正に有明海の海に夕日が沈んでいく姿に逢えました。美しいその姿に気仙沼の復興を祈っていました。
すっかり日も落ちてしまった駅で帰りの電車に逢いました。ありがとう。とてもいい思い出と勇気、元気をもらえました。この元気と勇気を気仙沼に届けることを約束しました。
私達神戸もその時は呆然としましたが、今は大変身し、とっても素晴らしい、素敵な街になっています。「まちづくり計画書」があったからです。
国からの指示を待っていたのでは絶対に駄目です。この2年の歳月がそれを証明しています。
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西宮の写真、神戸の今です。
栄える町には必ず鉄道が有ります。それは人と人の流れを作ります。電車の中のお話はとても素敵な話がいっぱいです。気仙沼は仙台からも遠いです。バスでの移動はとても大変です。鉄道はとても楽しいです。それほどに違いがあります。鉄道を大切にしないと後でとんでない後悔を絶対にします。私が断言して置きます。
私たちは瓦礫化したこの街を「緑と花の町に、そして、芸術の町、文教都市」にすることにしました。すべては街づくり計画に基づいて進めました。3年後には人口も経済活動も震災前以上に戻りました。そして、今はとても素敵な街、関西で最も住みたい町になっています。是非見に来てください。ここには復興当時の資料が沢山有ります。18年前の大震災を歴史として資料を大切に残しています。後世に伝えるために、命を守るために。