荒尾市立中央小学校の思い出、荒尾市立府本小学校、いじめ問題解決法、楽しい学校、尖閣問題解決法
阿蘇の外輪山を背にして、パパと男の子が何かを見つめていました。男の子はパパの膝に乗って嬉しそうでした。とっても素晴らしい光景に思えてなりません。
小学校2年の時の思い出です。
小学校の2年生が終わり、ましたその時担任だった先生が転任されることになりました。同じ市内の学校ですが、山の方の小学校でした。私立府本小学校へ転勤が決まりました。先生のお名前は今でもはっきりと覚えています。橋本律子先生です。とても優しい先生であったことを忘れていません。先生に「行かないで、いかないで」と泣いて先生に抱きついていたことを思い出します。先生は「いつもみんなのそばにいるから、いつでも遊びにいらっしゃい。」そういって僕たちを抱きしめてくれました。それが先生のぬくもりを知った始まりだったと思います。先生は優しい人なんだと私はこの時先生の素晴らしさを知らされました。子供ながらに先生が大好きになっていました。そして、別れの時が来ました。先生も「ありがとう。」と言いながら涙を流してくれました。
その年に僕たちは3年生になりました。夏休みに隣の友達の健ちゃんと橋本先生のお家に行こうということ成りました。「そうだ先生にあさり貝を持っていこう」ということになり、二人で有明海にあさり貝を採りに行きました。その当時の有明の海にはたくさんの貝を採ることが出来ました。
あみかごいっぱいにあさり貝を採ることが出来ました。そして、その貝を担いで先生を訪ねました。当時は電話もありませんでしたから、とにかく学校へ行けば先生のお家が分かるだろうということになり、学校を訪ねました。学校は休みの日でしたが管理人のおじいさんが直ぐに先生のお家を教えてくれました。そのメモを頼りに先生のお家を探しました。先生のお家はすぐにわかりました。それからが問題です。二人で恥ずかしさのあまり、「先に健ちゃんが行けよ」、「やっちゃんが行けよ」と、なんだか変な譲り合いです。そんなこんなで大きな声を出していたら、先生が僕たちのことを知って家から出て来ました。「あら、やっちゃんと健ちゃん、まあ、来てくれたの。遠い所を歩いてきたの・・・。」先生の笑顔が僕たちにはとても嬉しかったのです。二人で「先生、橋本先生」と大きな声で走りより、抱きつきました。「よく来てくれたね。」
そして、その日、黒砂糖のシロップを付けた団子を作っていただきました。この時の美味しさは最高でした。沢山食べなさい。先生の笑顔の中で食べれるだけ懸命に食べたのを思い出します。そして、先生にあさり貝を渡すと「こんなに重たいものを採りに行ってくれたの。先生嬉しい。ありがとう」と言ってくれました。先生は涙を流していました。僕は泣かないように頑張りました。
こんな素敵な思い出が私にはあります。思い出を作っていただいた橋本律子先生のことは本当に今でも私の胸の中に、心の内にあります。そして、故郷をふと思い出すたびに思い出してなりません。素敵な思い出は私の人生の素晴らしい本当の宝物、財産なのだと思います。
今でも素晴らしい人にお会いできているし、これからもいろんな素敵な人に逢えるようなそんな気がします。それも橋本律子先生が教えてくれた私への人生教育だったのかもしれません。心よりこの素晴らしさに感謝しております。
ぼくんちから先生の家まで・・・・・
片道3時間以上かかったと思います。歩いて行ったのですが、遠いと感じませんでした。そして、帰りには二人で競争しながら走って帰っていきました。健ちゃんありがとう。
健ちゃんとは連絡取れていないけど、きっと元気で活躍していると思います。
いじめ問題が学校で問題となっているようですが、楽しかったあのころに先生はみんな同じように接してくれたといまでも思っています。そしてそこには感謝あるのみです。
自分のことを中心に考えるのではなく、自分がそうされたらどう思うか行動を起こす前に良く考えれば尖閣問題も別の方法があったと思います。
こうしたやり方は幼いことろの生活がとても重要だと思ったりする今日です。子供の教育と環境はとても重要だということです。愛情はどんな時も大切です。
阿蘇外輪山からの夕日はとても綺麗でした。明日も今日と同じように素敵な一日になるようなそんな気がしました。
夕日の美しさに酔いしれていました。この夕日に逢えて、明日がいい日でありますことには間違いないと思えてなりません。