気仙沼の復興を願って・・・気仙沼、頑張れ気仙沼、被災からい15ヶ月の気仙沼、気仙沼への願い④
大津波の様子が残っていました。修復が進められているのか、いないのか全くこの様子からは判断ができません。とても15ヶ月過ぎているとは思えませんでした。復興の遅さが心配です。
下水処理場ですが、外観は何とも無いように見えましたが、人の気配が全くありません。不気味です。怖くなってきました。
津波に破壊された内部の様子です。その時のままに放置されていました。どうするのでしょうか。
水産加工上の被害は甚大です。加工場を復活させないと気仙沼に魚を水揚げする意味がなくなります。鮮魚の取り扱いだけでは魚価は下がります。それでは水揚げ地がよそに代わります。このことをリーダーは、復興のりーダーはよく理解して復興計画の実施、予算の確保に尽力してもらいたいと思います。水揚げする市場も大切ですが、まずはここです。消費地の市場は待ってくれません。食品は今や世界から簡単に入ってくる時代だということを会社経営者としてリーダーは、指導者は考えなければなりません。気仙沼市長は今や株式会社気仙沼の社長さんだと私は思っています。私たちで良ければいつでも協力します。勇気をもって前に進みましょう。
一日も早い復活を心より祈っております。いつでも声をかけてください。
気仙沼市役所です。時間帯もあったのでしょうか、人影が少ないように思えます。市役所の中に入りました。もっと多くの人がではいりしているとおもったのですが・・・・。
沢山のバラの花がきれいに咲いていました。まるでみんなを元気づけるように一生懸命に咲いていました。花に近づくとバラの香りが漂っていました。本当に綺麗にいっぱい咲いていて、とても気持ちが爽やかになりました。
マーガレットの花が一面に咲いていました。すべての花たちが笑顔のように見えましたよ。
市役所の中に復興丸が建造されていました。元気に復興しますよ!!そんな掛け声が聞こえてくるようでした。市役所の玄関口においてありました。じっと見ながらこの一つ一つに復興の願いが、魂が込められていることを感じました。頑張りましょう。
漁場へ向かうお父さんを子供とお母さんが見送っています。とても素晴らしい絵です。家族の愛情がこの絵にいっぱいに広がっていました。幸福な生活はきっと帰ってきます。帰ってきてほしいと心から祈るだけでした。
線路は走る電車の数も少くなったのでしょうか。錆が多く見られました。しかし、しっかりとしていました。そして、その沿線にはたくさんの綺麗な花が一面に咲いていました。とても綺麗でした。
仙台の夜は活気に満ちていました。震災の復興に向けての仕事が多くなり、仙台の夜は元気を取り戻しているように思います。元気は何よりです。頑張っていきましょう。楽しい明日に向かって進みましょう。
楽天イーグルスの応援旗が光に照らされていました。イーグルスの存在は被災地にとても励みになっていると聞いています。ちょうどこの日は阪神タイガースと試合がありました。われらが阪神タイガースは残念ながら敗れたという報告を受けましたが、仙台のイーグルスファンは最高に盛り上がっていました。元気は最高の御馳走です。元気で前へ進みましょう。
気仙沼も仙台に負けないように復興に向かいましょう。同じ宮城県ですよ。
今回はバスで仙台から気仙沼へ向かいました。やはり私には電車が忘れられません。復興には電車の復活が必要です。線路は人を運び、人と人をもつないでいきます。その道中は山と川そして海があります。揺れも少なく、線路から伝わる列車の走る音は心地いいものです。バスは気持ち悪くなってきます。この差はなんなのでしょうか。電車は町に幸福と笑顔を運んでくれると私は思っています。
全国でお客様がたくさん来られ、元気な街には電車が、列車がとても元気に走っていることをお伝えしておきます。花かいっぱい咲いて、電車が走る港町、水産の街それが気仙沼復興の姿と描いていますが皆さんはどんな絵を描いていますか。そんな復興にたくさんの時間とお金が必要なのでしょうか。復興を難しく考えてはいけないと思います。自分たちで復興することを考えることす。可能性のある復興を目指すことです。
瓦礫が全国に運ばれます。そして、処分されます。この費用いったいいくらかかるのでしょうか。考えたことありますか。地盤は沈下し、埋める材料もないというのに。神戸は全部、神戸の埋め立てに使いました。このことはとても重要です。震災の義援金、復興特別税・予算が福島に向かったら気仙沼はどうなりますか。日本全国の原発を廃炉にしたら予算はどうなりますか。早く計画を具体化し、予算を確保し、進める必要があります。私がこんなこと叫んでも、役に立たないかもしれませんが、阪神淡路大震災を経験し、気仙沼に通いみなさんとともに作り上げた財産が気仙沼にある。宝物を作ったはずです。だから叫んでいるのです。有識者会議の皆様に本当にお願いすることは「復興可能な計画と実行」をお願いしたいところです。
15ヶ月後の姿を見て・・・・・・・そう思いました。