ホテル観洋付近には悲惨な光景がありました。⑦
ホテルを出て、湾岸を歩くとそこには悲惨な情景が広がりました。涙が止めどもなく流れ、神様は本当にどこにいってしまったのだろうか。怒りと悲しみが込み上げてきました。
そのとき一台の自衛隊の車がさしかかりました。「すいません、神戸から来ているのですが、被災しました。市役所まで乗せていっていただけませんか。」「それは大変なめにお会いされました。乗ってください。市役所へ参りますから。」実に心よく笑顔で引き受けていただき乗せて行っていただきました。やっぱりそうだ、自衛隊の方は神戸の時もそうでした。小さいことから大きなことまでいつも私達のそばで支援していただけるのだとここでも確信しました。道中、阪神淡路大震災の時にいち早く来ていただいて、お風呂を用意していただいたこと、トイレを作っていただいたことをお話しました。是非お風呂を早く用意して欲しいお願いしました。そうできるように頑張ってみますといっていましたが、その後どうなったでしょうか。皆さんの切なる声が必要と思います。気仙沼の人たちがもしお風呂に早く入りたいと思うなら自衛隊の方へ皆でお願いしてください。すぐに用意できると思います。水はローリーで運びます。室根山だって自衛隊の人に取ったらすぐ近くですから。燃料は自衛隊ですからあります。ご心配なく。皆さんのそうして欲しいという声が絶対に必要です。子供達でまとまり、家(うち)には赤ちゃんがいます。お母さんがいます。お年寄りがいます。だからお風呂を用意して欲しいのです。そうお願いしてください。きっと実現できます。頑張って声を大きくしてお願いしてみてください。
お風呂については女性の方が特に大変だと思います。北海道で鮭のシーズンになるとサケバイといって多くの若者が全国からアルバイトに来ます。この時町は大歓迎をしますが、そのときのお風呂がいいものです。
部屋をビニールシートで囲みます。床もビニールシートをしきます。ちょっとすべるのでご注意、そこの中央に魚の輸送に使う、鮮度保持用のスカイタンクを入れるだけ入れます。外でお湯を沸かし、入れていきます。これで大変な盛り上がりようです。私も皆さんと幾度となくご一緒しましたが楽しいものです。女性の方は心配かもしれませんが、みんなで守ってあげれればいいと思います。鮮度保持タンクはすぐに調達できると思います。これは壊れにくいのでいくつも残っていると思います。
市役所は電話も通じず沢山の人でごった返していました。神戸の時は公衆電話が通じましたが、気仙沼は全部ダウンで外との交信は出来ないままでした。私もこれで4日目家族との連絡が取れていません。さぞかし、心配しているだろうと思うと涙が込み上げてきました。何とか連絡の使用はないのか・・・。でもそのすべはありませんでした。
そして、翌日七十七銀行の方が仙台に帰るという情報を得ました。ひょっとして電話が仙台からなら通じるかもしれない。そう思い「もし電話できましたら、伝えていただけないでしょうか。」ということで短い文章で無事であることを伝えていただけるようにお願いしまた。「分かりました連絡きっとしますから」一日も早く無事であることを伝えなければと一心でしたが、本当にご親切に言っていただけましたこの言葉忘れることが出来ないものになりました。(七十七銀行の荒様、入江様のご親切さに感謝申し上げます。)
次の、そして次の日でした阿部長商店大船渡食品の斉藤様がauからかかるかもしれない。今日かかったところがあったからということで我が家へかけていただきました。幾度となくしてもらいました。そのときでした「出られましよ、」「お母さん生きているよ」私の第一声でした。七十七銀行の荒様から電話を頂いていて、安心していたといってくれました。荒様へは本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。家内も「無事で、元気でいらっしゃいました」と聞いたときは本当に嬉しかったといってくれました。荒様、入江様に対し感謝の気持ちで一杯です。
斉藤様にも貴重なお電話を心おきなく使っていただきました。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。こうしていろんな人に支えていただきました。生還できたのも皆様のおかげと感謝申し上げます。ありがとうございました。